ニースにおけるマティスの足跡をたどる旅 2

ホテルの1室をアトリエにしていた期間はそんなに長くはなかったようで、その後いくつか海岸沿いのエリアでアトリエを移した後に、マティスは旧市街の広場に面したこの正面の建物、シャルルフェリクス1番地の3階をアトリエにして暮らし始めます。ここに移った正確な年がわからないのですが、ニースの高台にあるホテルレジナに移ったのが1938年なので、それまではここに暮らしていたことになります。途中からは4階に移ったそうで、それはきっとフランス式の4階、つまりペントハウスということですね。
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上の写真は広場側から、下の写真は旧市街を取り囲むゲートの外側から写したものです。この写真はニースの海岸を背にして写しています。マティスのアトリエのあった4階は広い窓が見えます。あの南に面した広い窓からは地中海の明るい光がアトリエに差し込んでいたのかもしれません。マティス美術館には、このアトリエと、シミエのアトリエの間取り図が展示されていました。あの窓がアトリエの窓だったのか確かめればよかった、、、
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このアトリエ時代には、マティスらしい装飾性にあふれる作品の数々、オダリスクシリーズが描かれました。また、フィラデルフィアのバーンズの邸宅の玄関ホールを飾るダンスを制作したのもこのアトリエに暮らしていた時代でした。但し、ダンスを描くにはこのアトリエでは手狭だったため、ここから少し離れた場所にあるガレージを借りて、そこで制作したのだそうです。そのガレージの所在地も記述を見つけたので、行ってみました。ダンスの仕事のために通ったであろう道のりをたどって。
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ちょっとはっきりしないのですが、多分このあたりだろうという場所です。旧市街の外の特に何もないような通りで、わざわざ訪れる意味はないのかもしれませんが、私にとってはここは外せない理由がありました。マティスの後半生に大きな影響を与えたロシア人女性、リディア・デレクトルスカヤが助手を務めたのが、この作品からだったと読んだからです。リディアはダンスの制作で助手を務めた後、マティスの妻アメリーの付添として雇われ、ある時からマティスのモデルに、そして愛人になり、マティスが亡くなるまで秘書としてマティスの創作と生活を支え続けた女性です。ですが、マティスの死後、葬儀に参列することもなくニースを去り、数年後にパリで自殺してしまったと読みました。アメリーとの離婚は生涯成立しなかったマティスですが、それを含め、マティスに大いなる利益と苦悩をもたらせた女性リディア。彼女がマティスについて書いた本があるそうなのですが、現時点では日本語に翻訳されておらず、残念です。

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# by fumiko212 | 2018-03-04 23:12 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)

ニースにおけるマティスの足跡をたどる旅 1

今回の旅のテーマは20代のころから温めていた、「ニース近郊のヴァンスという小さな町にあるマティスの教会、ロザリオ礼拝堂を訪れる」ことでした。

最初にお断りです。私が訪れた場所にマティスがいつ頃住んでいたかなど書くかもしれませんが、事前に予習した書籍類はすべて図書館に返却済みで、手元にはマティス美術館のサイトから印刷した英語版のガイドしかありません。書籍の記憶と英語版資料を頼りに以下の文章を書きますが、記憶違い等による間違いがいろいろあると思いますがご容赦ください。

さて、マティスがこの礼拝堂の仕事に取り掛かったのは晩年の1948年、マティス70代後半のことでした。亡くなる数年前のことです。しかし、マティスがニースにやってきたのはそれよりもはるか以前、1917年、マティス48歳のことでした。何と、今の私とあまり変わらない年齢でした。最初に滞在したのが、海沿いのホテル・ボー・リバージュだと読んだので、私も到着してすぐにまずそこへ行ってみました。(写真は別の日に撮ったもの)そこは今も同じ名前のホテルとして営業していました。あのバルコニーに妻アメリーと一緒に写っている写真が残っていて、雰囲気はそんなに変わっていないようでした。
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このホテルから描いた作品かは定かではないのですが、こんな風にニースの海を見下ろせるような部屋だったのだと思います。
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ニースについてすぐのころ、マティスは近郊にアトリエを構えていた晩年のルノワールを訪ねています。老いて体の自由が利かなくなったルノワールが創作を続ける姿に感銘を受けたという記述がありました。
この場所でニースでの暮らし、そして創作をスタートさせたマティスは、途中、長くパリやタヒチ、ニューヨークなどに滞在することもありましたが、亡くなるまでニースとヴァンスに暮らし続けました。

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# by fumiko212 | 2018-03-04 22:19 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)

冬から春へ~南仏ニース15景 15日目

ニース15景、最後も海の写真です。15日間の半分くらいが似た景色だったかもしれません。最終日の朝、日の出のころの写真です。ちょうどカモメが飛んできたところでシャッターを切りました。私がガイドブックなんかで写真を見て思い描いていたニースのビーチにはカモメの姿はありませんでした。観光客が多い時期はビーチに人が多いのでカモメはこれほどまでにビーチに居ないのかもしれない。実際にニースの海岸を訪れた今、あの海岸を思い出すと、カモメの鳴き声は常に聞こえていました。それが私にとっての南仏の海岸のイメージに加わりました。冬のニースはホテル代が安くて、外食はそんなに高くなくて、過ごしやすかったです。願わくば、もう少し暖かいであろう3月~4月頃にもう一度訪れて(ホテル代は冬と同じくらいを希望)、ここを拠点に近郊の小さな町をバスで訪れる、というような旅が出来たら、、、と妄想しつつ、毎日(じゃなかったけど)更新を終了します。
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# by fumiko212 | 2018-03-04 21:06 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)

冬から春へ~南仏ニース15景 14日目

毎日更新出来てません。すいません。
似たような写真が多いような気がしていますが、やっぱりニースと言えばこの風景なのです。これは城壁跡に上って撮った写真です。弧を描くコートダジュール、正に絶景でした。天気が良ければなあ。夕方だったので遠くの空の雲の切れ間に夕日がうっすらと見えています。右手手前のカラフルな壁面を見せている一角が旧市街です。数日前にアップした#ILoveNICEのオブジェがあるのは海岸に面した遊歩道の東の端です。あそこから見える海も良いのですが、やはりここまで上がってきたかいがあると思える景色でした。
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# by fumiko212 | 2018-03-04 20:53 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)

冬から春へ~南仏ニース15景 13日目

シャガール美術館の写真です。ニースにはマティス美術館もあるのですが、マティスは国立じゃないのにシャガール美術館は国立なんです。なんでだろう?シャガールのことは全然予習しなかったのでどうしてニースにシャガール美術館があるのかわかってない、、、今、観光局の日本語案内ページとウィキペディアを見たところ、シャガールがフランス国家に旧約聖書の創世記を題材にした絵画シリーズ17点を寄贈し、ニース市が土地を提供したことによると記述がありました。そして亡命先のアメリカからフランスに帰国してからは南仏に暮らしたとの記述も。そして1985年に亡くなってます。1887年生まれとのことなので長寿だったんですね。それにしてもシャガールについてほとんど何も知らなかったんだな~。アメリカに亡命したあたりまでしかわかっていなかったです。
美術館には無料で借りられる日本語のオーディオガイドがあり、作品数も少ないことだしじっくりガイドを聴きながら鑑賞しました。聖書におけるヘブライ人の受難と第二次世界大戦におけるユダヤ人の受難を重ね合わせるような解説が続き、シャガールを深く勉強してからこの絵を見たらもっといろいろ受け取れるものがあるんだろうなと思いながら見ていきました。シャガール作品をまとめてみたことはなくて、日本に来る美術展に数枚混じっているのを観たりした記憶しかないのですが、こうしてまとめて作品を見ているとだんだんと親しみが感じられてくるから不思議です。

写真は絵画展示室とは別の講堂のようなところにあったステンドグラスです。
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# by fumiko212 | 2018-03-01 22:13 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)