9月2館目:フィンランド陶芸 芸術家たちのユートピア/目黒区美術館

庭園美術館から歩いていける、そしてぐるっとパスで入場できる、目黒区美術館で、閉会間際のフィンランド陶芸展を見てきました。フィンランドと言えば、のアラビア窯で制作された陶芸作品の数々。北欧アンティークの店で見るのとはまた違う、独創的な作家ものの作品の数々は、北欧ブームの続く今の日本人の美意識にすっと入ってくるものばかり、なんだと思った。ジャポニズムと同様に、フィンランド陶芸も万博(1900年のパリ万博)をきっかけにヨーロッパでブームを巻き起こしたという歴史にも親近感がわく。このブームで民族の伝統技術を評価されたことが彼らを勇気づけ、ロシアからの独立の機運が高まることにもつながったのだとか。ヨーロッパに評価されて勇気づけられる、という感覚もなんとなく親近感。しかし、ロシアからの独立への原動力に、、、という解説には驚かされました。
もう一つ、解説によると、この時期のフィンランド陶芸は、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けているのだそうで、この夏何度も見た、濱田庄司の陶芸と同じルーツを持つことも親近感を抱くきっかけになった。私にとっては、中国・朝鮮からわたってきた陶磁器よりもこっちの流れの方がとっつきやすい。

1950年代頃の作品の展示室にあった陶板絵や飾り皿が素敵だった。青を基調とした「菫」というタイトルの絵皿。しばらく見入ってしまった。吸い込まれるように深い青の濃淡。忘れられない。

初めて訪れた目黒区美術館は小さいながらもすっきりとした空間が気持ちよく、行き方もわかったので(世田美ほどではないが駅からは遠い)、今後の企画展も気にしておこう。やっぱりぐるっとパスを買ってよかったな~。

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# by fumiko212 | 2018-09-24 00:33 | アート | Trackback | Comments(0)

9月1館目:ブラジル先住民の椅子/東京都庭園美術館

8月最後に9月は美術館行けるかなあ、、、と弱気なことを書きましたが、ふたを開けてみればぐるっとパスのおかげもあってガンガン通っている状況です。
ぐるっとパスを買おうと決心したのは、対象の展示で見たいものが2つあって、その2つだけで元が取れると分かったから。相変わらず発想がセコイ、、、そのうちの1つが本展でした。直接の友人・知人、インスタをフォローしている好きな人たちがこぞって絶賛していたのでこれは行かねばと!私の中では今年度今のところ一番良かった縄文展にかなり僅差のベスト2にランクインする展覧会となりました。行ってよかった~。

ブラジル先住民の椅子、と聞いてイメージしていたのは、例えばメットのロックフェラーギャラリーにある南アメリカ・オセアニアの展示品にあるような土着的、呪術的な造形。アールデコの庭園美術館とイマイチ結びつかない。しかし、それは私の間違った固定観念なのだったと縄文展の時と同じように1点目の作品で気づかされ、この作品世界の虜になってしまった。造形としてはプリミティブな部分が多分にあるのだけれど、アールデコ空間に気持ちよく溶け込みながら強烈な存在感もある。
第二の驚きは、これらが古代の遺物ではなく、現代の作家に技術が受け継がれて、一目では時代の見分けがつけられないような同じ技法で作り続けられているということ。かつては集落の有力者のための椅子として作られていたものが、現代では椅子としてではなくインテリアとして扱われることもあるという点を除けば、造形も色も模様も時代にかかわらず共通している。
展覧会の副題に「野生動物と創造力」とあるように、椅子は必ず生物の形を持っていて、地域によって哺乳動物、鳥、魚、両生類、、、と姿を変えていく。椅子は褐色に染めてあり、そこに黒や赤で文様が描かれる。それは彼らの美しい褐色の肌の色であり、模様は伝統的なボディペインティングと同じものが描かれているのだとか。

映像展示では、現代の作家が森に入り、木を切り倒すところから制作の過程を取材した映像が紹介されていました。1本の木から10程度の椅子が作られるのだそうで、その作業は10人の作家が共同で行います。斧で木を切り倒し、それを大まかに10個の丸太に分け、各作家が自分の丸太をある程度椅子の形まで荒くそぎ落とします。迷いのない斧の仕事でみるみると椅子の形が切り出され、一人で持ち運べる程度までになるとそれを担いで工房へと持ち帰ります。森から持ち帰るのは最小限の木材だけ。木端は森へ残すのです。工房へ戻ると、大きなナイフのような道具で表面が滑らかに削られていく。そのあと植物染料で表面を彩色し模様を描く。迷いなく動く作家たちの肉体と無駄のない形に削り出され褐色に染め上げられる椅子が、同じように美しい。

多くの国の先住民がそうであるように、彼らも過酷な歴史を持っているのだろうか、、、伝統的な技術を現代に受け継いでいることが彼らの誇りが保たれていることの証明のようにも感じた。というかそう願いたい。一方で、先住民のしきたりにおいて、椅子に座れるのは男性だけで女性は足を延ばして床に座る、という解説を読むと、文化を守ることと人権を守ることの折り合いをどうつけるのかなあ、、、ということも考えさせられたり。芸術、美術鑑賞はそういった御託を並べずに純粋に観るべきなのかもしれないけれど、私はやっぱり時代や社会背景があっての芸術・美術だと思うのです。それを踏まえても美しいものはやはり美しい。

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# by fumiko212 | 2018-09-24 00:03 | アート | Trackback | Comments(0)

8月3館目:ムットーニコレクション/世田谷文学館

4月から新しくなった常設のムットーニコーナーを見に世田谷文学館に行ってきました。実は、世田文にムットーニ展でないときに行くのは初めてでして、今まで、常設のムットーニを見たことはなかったのだ。
企画展ビーマイベイビーに興味がないわけではないのですが、何しろ展示を見るのに時間がかかるので、今回は常設だけ。

常設のムットーニコーナーは1階です。せたがやアーツカード割引で団体料金160円也を支払い入場。申し訳ないほどの格安料金です。
上演は毎時30分ごとに展示中の7作品を2つに分けて行っていました。すべて見るには最低でも約1時間半の滞在が必要です。ムットーニコーナーの奥では斎藤茂吉、北杜夫に関する資料の展示(コレクション展)があり、こちらも30分では見きれないほどの充実した展示ですので、時間を持て余すことはありません。

新しいムットーニコーナーには昨年の個展から、題のない歌、蜘蛛の糸、アトラスの回想、の3作品が加わりました。この3作品については、白い壁に作品のモデルとなった文学作品の抜粋(題のない歌は全文)が大きく書かれていて、上演時間外に読みながら眠る舞台を鑑賞するのも一興かと思います。特に題のない歌はバーの内装などの細かい造形を動いてないときこそじっくり見られるので必見です。個展のときには気づかなかった、カウンターの奥の電話機の存在に気づきました。電話の手前に電話代を置く銅の小皿があることに気づき、これは一体いつの時代の設定なのか?と新たな想像を掻き立てられます。バーの壁にかけられた絵画も気になり目を凝らしたのですが、左側の2枚はムットーニの作品のミニチュア?のようにも見えたのですが、右側はよく見えず、単眼鏡持参で再訪しなくてはと思ってます。作家自身の作品がかかる狭い部屋はゴッホの寝室を連想させ(部屋の作りが台形であることも寝室の不定形な部屋の形と通じるものがある)、カウンターの奥の酒瓶がぎっしり並んだ棚のイメージからは同じくゴッホの夜のカフェを連想しました。ゴッホとムットーニがイメージでつながることがあるとは思ってなかった。

書きかけの歌(スビリット・オブ・ソング)以外はムットーニの語りが流れます。蜘蛛の糸は上演会で見られたことがなかったので、語り付きで見るのは初めてでした。北杜夫に関する展示コーナーで三島の自筆原稿を見た直後だったからか、三島の存在をジトッと感じる鑑賞となりました。

既存の4作品は、スビリット・オブ・ソング、眠り、漂流者、アローン・ランデブー、の順に上演されます。前回個展で1度しか見られなかった、眠りをじっくり見られたのがよかった。あれは他のどれとも似ていない狂気を感じる作品です。それから展示室の壁が白なので、アローンランデブーの背面ライトがいつも以上に美しく感じたな。

現在、猫町、山月記、月世界探検記はメンテナンス中とのことで展示されていません。今後はコレクション展の展示替えに合わせてムットーニコーナーも作品を入れ替えながら展示替えを行うとのこと。ちなみに現在のコレクション展は9月17日までです。企画展のないタイミングでムットーニコーナーだけを見られたらもしかして独り占め鑑賞ができるのでは?と夢想したのですが、企画展と同日に閉会するので、次の企画展が始まるまでに見られるのかは謎です。聞いてくればよかった。新しくできたというムットーニコーナー専用のパンフレットもゲットできました。

帰りがけにライブラリーものぞいたところ、今まで気づいていなかったムットーニ書籍が数冊まとめて開架しており、幻と思っていた不思議人形館もありました。パラパラとめくると古い時代の知らない作品が細かく掲載されており、これはぜひともじっくり読みたいと静かに興奮。以前からネットで検索していたのですが確か在庫がいつもなかったと記憶。また時間をとってここに来て読もうと思いながらも帰宅後に検索したらAmazonで中古価格でいっぱい出てる!しかも状態非常に良いがある!ということでやっと買えた〜。諦めずにしつこく検索すればいつかは買えるものなのですね〜。嬉しい。

収穫はそれだけじゃなく、文学館のコレクション展が期待以上に面白かったことも新発見だった。世田美もですが、土地柄、世田谷ゆかりの作家の遺族からの寄贈という形で充実したコレクションを有していることが伝わる展示で、これからは展示替えごとにムットーニ詣でとともに鑑賞したいと思いました。

9月は美術館行けるかな…。久々にチェロの発表会を控えており、後半は企画展の端境期にもなりますから、行くなら前半勝負。ぐるっとパスを買おうか悩み中です。もしお休みしたら8月に読んだ美術関連本の感想でも書こうかな。

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# by fumiko212 | 2018-09-03 02:45 | アート | Trackback | Comments(0)

8月2館目:巨匠たちのクレパス画展/東郷清児記念美術館

タイトルの美術館名、省略してます。
クレパスといえば、小学校に入学するとき、クレヨンとクレパス、両方を買わされた(小1で買わされたもないけど)記憶があります。どちらもベタベタした画材という印象しかなく、どういう使い分けをしていたのか全く覚えていません。6月に行ったチームラボボーダレスにクレヨンの塗り絵コーナーがあって、それにめちゃハマったのもあり、このクレパス展に興味を持ちました。ちなみにクレパスというのはサクラクレパス社の製品の商品名で、一般名だとオイルパステルというのだそうです。解説によるとパステルとクレヨンの良さを併せ持つ画材で、パステルよりも退色しにくく、油絵具と同じように混色が出来たり可塑性を活かした表現(ひっかいたり盛り上げたり)もできるので、戦後、油絵具を入手しづらかった時代にプロの画家たちも使っていたのだそうです。その画家たちの言葉も紹介されていて「子供用の画材にしておくのはもったいない」と評価されていたそう。

そのような前情報を得てますます興味が湧いて行ってきました。最初の1枚から、これがあのクレパスで描いた絵なのか!という驚きのクオリティの作品が並んでおり、油絵具での表現方法が無限にあるように、クレパス画も画家によって表現方法は無限にあることを知りました。風景画の空・山・海・岩の描き分けや裸婦の肌の質感など写実表現はもとより、抽象表現による人物や静物画でも油絵のような、というよりはクレパスだからこそという表現を観られたように思いました。デッサンと彩色が同時に表現できるからなのかなあ。ひっかいて地の色を見せる方法だと版画のように見える作品もあった。
一番気に入ったのは猪熊弦一郎の「二人のこども」という作品。二人のこどもの顔つきや正面を向いて2人が並んで立つ姿はほのぼのとして親しみが持てるのに、黒を基調にした線と面で構成された画面には緊張感もあり、心に残りました。他にも作品リストに丸を付けたんだけど、見に行ったのがちょっと前なので忘れてしまった。それというのも、展覧会を観た後に久しぶりに常設のゴッホのひまわりを見て、ちょうどアルル時代のゴッホに関する本(「ゴッホの耳」というのですごく面白かった)を読んだばかりだったのもありその印象が強烈過ぎたのと、美術館の1階ロビーにクレパス塗り絵コーナーがあり、またもや塗り絵に没頭しすぎたのが原因。ゴッホのひまわりの塗り絵があったので、複製画を観ながら16色入りのクレパスを駆使してゴッホの色を探しつつ、あの盛り上がる筆致の雰囲気をクレパスで何となく真似してみようという取り組みを、もしかしたら小1時間くらいやっていたかもしれない。出来上がりはともかく、複製プリントとはいえ、あんなにじっくりひまわりの色を観察することってただの観賞だとなかなかできないので、すごく面白かったです。塗り絵が終わった後、42階のショップに戻ってクレパスを買いそうになりましたよ。冷静になって買わなかったけど、翌週世界堂にもう一度見に行ってしまった。やっぱり買わなかったけど、、、でも、もし絵をかくならオイルパステルを使ってみたいかも、と思いました。水彩とか油彩とか、準備も扱いも片づけも厄介そうだけど、これはどんどん重ねて塗ると何となく雰囲気が出てくるのが面白かった。展覧会は9月9日までやっているので、もう一度塗り絵コーナーだけ行ってみたいような、、、もう少し近い場所にあったらきっと行ってるな。

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# by fumiko212 | 2018-08-27 22:27 | アート | Trackback | Comments(0)

8月1館目:モネそれからの100年/横浜美術館

モネは何度も見ているからいいかなあと思っていた矢先に、日曜美術館でこの展覧会についてやっているのを見たら、モネがその後のアート、特に現代アートに与えた影響をテーマにした展示だと知って俄然興味がわいた展覧会。想像通り、とても面白い展示だった。

展示を見る前、番組を見た段階で、直島の地中美術館のことを思い出していました。地中美術館にはモネ以外に2作家の作品を展示しているけれど、その2人はいずれも現代のアーティスト。なぜこの3作家を選んで1つの美術館に収めているのかが謎だった。モネの作品が最晩年のものだったというのが一つの手がかりだったのだとやっと理解できた。
白内障の手術を受けることなく晩年の制作を行っていたモネは、意図してなのかそうなってしまったのかはわからないけれど、かなり抽象絵画に近いような作品を残している。今「抽象絵画に近い」と書けるのは、日曜美術館で現代アートへ与えた影響について聞いたからであって、直島で見たときは、そんな風には思っていなかった。睡蓮の池を思いっきりピンボケにしてそうするとぼやけるはずの色彩は現実よりもコントラストが激しくなり色の洪水のような画面を作っているあの作品を見て、それは白内障の影響による画風の変化だと思った私は、よくぞ白内障になるまで長生きしてくれたという感想を持ったのでした。だって、もしそうなる前にモネが亡くなってしまっていたら、こんな風に色彩が爆発したような作品は生まれなかったのだと思ったから。でももしかしたら意図的にそういう作品を描いていたのかもしれないのか、、、本当に最後まで進化し続けていたんだな。

最近、美術展の記録をブログに書いているので、過去の自分の記事を読み直していたら、自分の書いたことにびっくりした。4年前の世田美のボストン美術館展で見たピサロの作品について書いた部分をコピペ。
すっきりとした木立の下の部分は枯葉の残った藪が描かれているのですが、そこだけをじっと見ていると、まるでポロックのドリップアートのように見えるのです。ポロックはもしかして印象派の作品からあのアイデアを得たのでは?と思えてきました。その視線でモネの睡蓮観ると、やっぱり同じようにドリップアートのように見えてくる。すぐれた芸術表現は、そうやって次の時代の芸術家に受け継がれつつ発展していくものなのかもしれない、と勝手に納得して鑑賞を終えました。
勝手に納得してたら4年後にそれをテーマにした展覧会が開催されたのか!4年前の自分の感想を忘れているところが残念ではありますが、自分、よく見てるじゃん!とちょっと自信を持ちました。嬉しいなあ。

今回の展示作の中で、何となく印象に残ったのがロンドンを描いた作品。フランス国内で描いたものとは決定的に空気感が違う。ロンドンを描いたものには鉄道や橋などの人工物が描かれてて、フランス国内の作品は自然を描いたものが多いという違いもあるけど、例えばサンラザール駅と比べたってやっぱり違うもの。なんというか、光がフランスよりももっと繊細で画面が薄氷で覆われているように見える。
それらの作品と並べて展示されていたのがニューヨークを題材にしたモノクロ写真作品で、その中の一つはMETにも所蔵されているフラットアイアンビルを写したよく知っている作品(NY好きさんは見ればきっと知ってる)でした。写真家の名前はエドワード・スタイケン。写真の登場により風景や肖像を写実的に描くことが絵描きに求められなくなった時代に生まれた印象派の画家の影響を受けた写真家の作品かあ。これまた面白い発見でした。
今METのサイトでこの写真作品の解説を読んだら、”ホイッスラーの「ノクターン」シリーズを連想させる””前景の枝は浮世絵を連想させる”などの記載がありました。それにも納得。さらに、METでは”異なる印画3点を所蔵しており、それぞれ色調が異なるため移り変わる夕暮れの光景のようだ”とも。まさにこれはモネが絵画でやっていたことで、例えばルーアンの大聖堂や積み藁などの連作とのかかわりも指摘できるということなんだな~。ブログ書かなければここまでわからなかったよ。やっぱりブログに残しておくっていいな。

観終わって思うのは、モネもっと見たい。パリに行ってマルモッタン、オランジュリー、オルセーを巡りたい。しばらく落ち着いてたパリ行きたい周期に自分が入ってしまった。セーヌ川をノルマンディまで下りながらモネの描いた風景に出会う旅とかもいいな~。しばらくこの妄想旅行で楽しめそうです。

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# by fumiko212 | 2018-08-10 22:27 | アート | Trackback | Comments(0)