ニースにおけるマティスの足跡をたどる旅 7

教会を出て、バスターミナルに向かって戻り始めたのですが、途中で、反対側の道から教会を見られるのではないか?と思い立ち、斜面の下側の道から教会方面に戻ってみました。そして撮れたのがこの写真です。この教会が立つ山はあんなに厳しい岩肌を見せていたんだ。
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下の写真はマティス美術館にあった教会の模型。ドローンでも飛ばさない限りこの角度からは見られない。
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最後にもう一つ記録しておきたいことがあります。
教会の展示室に、教会建設までの年表が展示されていました。そこに、マティスが亡くなった後のことが書いてありました。この教会の建設をマティスに依頼することを最初に思いついた、ジャック・マリーについてです。彼女は2005年に亡くなるまで、この礼拝堂をマティスがデザインしたそのままに保つことに心を配り続けたのだそうです。

最後にもう一度シミエの高台に戻ります。つづく

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# by fumiko212 | 2018-03-08 22:48 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)

ニースにおけるマティスの足跡をたどる旅 6

ついに入ることができた教会内部について。

教会内部は展示エリアが併設されています。先に展示を見るか、まず礼拝堂を見るか、悩むところですが、私はざっと展示エリアを見た後に礼拝堂内部に進みました。入口横には、マティスがデザインした聖水盤があります。礼拝堂には後方左隅から入ります。正面に斜めを向いた祭壇があり、その奥に青、緑、黄の生命の木のステンドグラス。左もこの3色のステンドグラス。そして右の壁は白いタイル張りで大きく聖母子像が描かれます。マティスが「半分がステンドグラス、半分がその色を映す白いタイルで礼拝堂内部に緊張を与える」と初期のころから構想を練っていた通り、空気が引き締まるような空間が現れました。外は薄曇りだけれど十分に明るく清潔な空気を感じます。

下の写真はマティス美術館に展示されていたステンドグラスの一部です。手漉きガラスの色はマティスが納得がいくまでフランス中を探したと読んだ記憶があります。近くで見ると、青と緑は透明で、黄色は擦りガラスでした。近くにガイドの女性がいらしたので、触ってみても良いのか聞いてみました。どうぞと言った後、ガラスについて説明してくれました。黄色だけがすりガラスなのは、黄色は神を表しているから、そして青と緑は現実の世界を、だから向こうの現実世界が見えるようになっているとのこと。彼女の解釈なのか、マティスの解釈なのかは不明なのですが、、、
そのあと鏡面のように磨き上げられた祭壇の大理石の床に、生命の木のステンドグラスが写り込む場所を教えてくれました。それから透かし彫りの白い告解室のドアのところへ案内してくれて、その透かし彫りの隙間から見える奥の白い壁がピンクに見えることを教えてくれました。青・緑・黄のガラスを通した光がなぜピンクになるのか、私の英語の聞き取りが悪く、理由が正確にわからないのですが、青いガラスには赤の色素も含まれていて(赤の光を通す?)、ガラスを通った光は赤紫に見えるのだとか。私の肉眼ではイマイチわからなかったのですが(日本人の瞳の色が関係あるのか?彼女が紫だというところが私には青にしか見えなかった)、翌日、マティス美術館でこの写真を撮ったら、肉眼では青く見えるガラスが、カメラのレンズを通すと後ろに自然光がある青ガラスの部分が紫に写ることに気づきました。
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更に、彼女が告解室のドアを開けて中を見せてくれました。(聖堂内にガイドさんがいないときもあり、勝手にこのドアを開けて入ってよいのかは不明です。)そこには、告白をする信徒の側と、壁に仕切られた聖職者のスペースがあり、聖職者側には肘掛椅子が、信徒側には膝をつく座面の低い椅子が置いてあります。信徒側の壁には、膝をついた告白をする人の顔の前あたりの高さに、20センチ四方ほどの小さなタイルがはめ込んであります。そこにマティスが描いた十字架に架けられたキリストが描かれていました。ガイドさんが、そのタイルの右下(だったと記憶)に小さくマティスのサインがあることを教えてくれました。この礼拝堂のすべてを創ったマティスが唯一残したサインがここにあると。この話に本当に胸を打たれました。この教会の仕事を「自分から選んだのではなく何か大きな目に見えない力が私を選んだのだ」と語っていたマティス。その思いが伝わってくるようでした。

礼拝堂内にはマティスが白いタイルに描いた聖ドミニクの肖像、聖母子像、十字架の道行が描かれています。教会に併設された展示室にはそのための習作、素描が何枚も展示されていました。マティスは目をつぶっても描けるくらいに手にその線を覚え込ませるほど習作を重ね、最後にタイルに描いたといいます。聖母子像のマリアの顔は輪郭だけが描かれていますが、幼子を慈しむように見下ろしているようにも、正面を見据えているようにも、幼子の行く末を知っているかのように憂いているようにも見えました。(写真はマティス美術館に展示されていた聖ドミニク像の習作)
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祭壇の上には真鍮製と思われるキリストの磔刑の像があります。下の写真はマティス美術館に展示されていたものですが、同じものが教会の展示室にもありました。この爛々とした目つき!この厳しく力強い視線からは、マティスの創作に対する情熱がビシビシと伝わってきます。
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次もマティス美術館の写真ですが聖職者が着るためのローブもマティスがデザインしています。教会の展示室にはすべてのローブが展示されていますが、色は5色ほどあったでしょうか。デザインはすべて異なります。教会のウェブサイトを見ると式典によって色が決められているとのことでした。
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展示室の壁面には、マティスの言葉が直接書かれています。いくつかの言葉がありましたが、展示室の最後、礼拝堂に入る直前に、私が出発前に感動したあの言葉が書かれていました。

「一体あの礼拝堂はなんだろう、...あれは一輪の花だ。一輪の花にすぎぬとはいえ、しかし、花一輪ではある」

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# by fumiko212 | 2018-03-08 22:34 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)

ニースにおけるマティスの足跡をたどる旅 5

そしてついに、20年の思いを込めたロザリオ礼拝堂訪問を果たしました。何かとついていないことが起こりがちな自分なので、教会の中に入れるまで、何らかの理由で見られなかったら、、、と悪い想像ばかりしてしまいましたが、何も起こらず、無事に見学をすることができました。内部は撮影禁止なので、外観の写真だけですが、自分の中でのベストショットを何枚か載せます。

ミモザとウチワサボテンの花が咲く教会の裏庭。
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教会は斜面に建っているため、通り側から見ると教会の背が低く見えます。2色の青を組み合わせた屋根瓦のデザインも何とか写真に収めることができました。
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教会内部にもあるマティスの描いた聖母子と聖ドミニコ。
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教会の尖塔であるこのロザリオもマティスのデザインによるもで、本当は抜けるような青空をバックにこの写真を撮るのが夢だったんだけど、今回はかないませんでした。そのためにマティスが最も良いという冬の11時をあきらめて、午後の訪問にしたのですが、、、(午前に開館している日は天気予報が悪かったので、午後のみ開館のこの日に訪れたため)
雑誌で何度も写真を見た尖塔でしたが、足元に鐘がかかっていることは現地に行って知ったことでした。
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反省として、内部は写真撮影禁止なのですごくじっくり見学したのに、外観は写真に夢中になって、肉眼でしっかり見た気がしていないこと。だめだなあ、、、

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# by fumiko212 | 2018-03-08 21:33 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)

ニースにおけるマティスの足跡をたどる旅 4

1943年6月、第二次世界大戦の戦況が悪化する中、マティスはニースの西15㎞程の所に位置するヴァンスという町に疎開します。その時滞在したのがロザリオ礼拝堂からすぐの場所にある(実際にはロザリオ礼拝堂が後からできるのですが)ル・レーヴ荘でした。正面の建物で間違いないと思います。左から建物の入口の方へ上がって行けそうだったのに、近くまで行かないままにしてしまいました。ネットではアトリエとしてグループに貸し出しをしているようです。大きな2本のヤシの木?がありますが、この木はマティスの作品に何度も描かれています。
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その作品がマティス美術館にも展示されていました。今ではあの2階の窓からはるか高い位置まで成長してしまったヤシの木ですが、マティスが滞在した当時はちょうど2階の窓から葉の部分が見えていたのかもしれません。
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ここに滞在した際に、修道女のジャック・マリー(かつてマティスに看護婦として雇われ、モデルもしていた)と再会し、ロザリオ礼拝堂建設の依頼を受けることになります。マティスが病気をしなければ看護婦を雇うこともなかったし、戦争がなければマティスがここへ疎開することもなかったのだから、、、と考えずにはいられません。「運命」とは?などということまで考えてしまいます。
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# by fumiko212 | 2018-03-08 20:40 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)

ニースにおけるマティスの足跡をたどる旅 3

旧市街のアトリエからマティスが移った先は、海から離れた高台のシミエでした。この豪華なオテル・レジナがその場所だったそうです。1938年とあるので、マティスがニースに来て約20年、マティスの年齢は70に近づいたころです。1954年に亡くなるまでの残りの期間、戦時中にヴァンスに疎開していた時期を除いて、ここが終の棲家となりました。付近には商店やレストランがあるわけでもありませんが、老年のマティスにとっては暮らしやすい場所だったのかもしれません。
ヴァンスの教会の制作もここで行われました。礼拝堂のサイズはこのアトリエで制作できるぎりぎりの大きさだったのでは、と読んだ覚えがあります。
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下のポスターは、マセナ美術館で見つけたベルエポック時代のオテル・レジナ。マティスが暮らした時代は今とこのポスターとどちらのイメージが近かったのかわかりませんが、郊外でありながら華やかな場所だったのかもしれません。
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マティス美術館はオテル・レジナのすぐそばです。(バス停はオテル・レジナを過ぎてすぐのところなので、オテル・レジナが見えたらチャイムを押せばOK)オリーブの古木が立ち並ぶ公園に隣接していて、前にアップしたペタンクのおじさん達や犬の散歩の人たちで朝から人が途絶えることはない公園でした。
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このアトリエでのマティスの創作は切紙絵が中心だったといいます。油絵と違い、形と色を同時に表現できる方法として晩年のマティスが好んで用いた制作方法です。フランソワーズ・ジローが残した文章として紹介されていたと記憶しているのですが、ジローとピカソが切紙絵を制作中のマティスのアトリエを訪れたときのことが書かれていました。既に完成に近づいている画面に、マティスが一枚の切り取った紙片をそっと配置した瞬間に、画面が強烈な緊張感を持ち完成した場面を目の当たりにしたピカソは、その日の帰り道で何とも悔しそうな表情をしていた、とありました。
12月にこのブログに記録しておいたマティスの言葉があります。オダリスクの作品について語った言葉で「この物憂い弛緩の雰囲気の中には、人や物を包み込む気だるい太陽の下には、大きな緊張がひそんでいるのです。これは絵画特有の次元で、構成要素の相互のはたらきと関係から生まれる緊張です。」私もその緊張を感じたいと思ってマティス美術館で切紙絵のポスターを1枚買ってきました。帰ってすぐに飾って、毎朝眺めていると、クレヨンをぶちまけたような色の散らばりの中に、形が見えてきて、最初に見たときとはずいぶん見え方が変わってきました。その強烈な緊張を感じるにはもう少し時間がかかるかもしれないのですが、切紙絵でマティスがやったことをもっと深く理解したいと思ってこのポスターを買ってきてよかったと思ってます。

下の写真は、マティス美術館に展示されていた作品。
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これは切紙絵を下絵としたタピスリー。以前、上野にマティス展が来た時に、その下絵をみてとても感動した作品だったので、タピスリーになったものを見られて感激でした。下絵で白い紙を重ねて形を表現していた部分は、タピスリーになっても同じように布を重ねて表現されていたことに感動。
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マティス美術館にはヴァンスの教会の為の習作が多数展示されていましたが、ヴァンスの写真と一緒にアップします。次はいよいよヴァンスへ向かいます。



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# by fumiko212 | 2018-03-07 23:31 | -南仏ニース(2018) | Trackback | Comments(0)