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ニューヨーク公共図書館

とある場所で美術館に関する講演を聞く機会があり、最後の質疑応答でこの映画を引き合いに公共美術館の現状についての意見を述べた方がいた。それで知った映画が公開されるというので公開前日の23時ころに焦って前売り券を購入。3時間25分の長尺に腰が引けそうだったけど見に行きましたよ。
映画の疎いのでワイズマン監督の凄さとか全然知らなくてすいません。でも大好きなニューヨークを舞台にしたドキュメンタリ映画ならきっと面白いだろうし、一番の決め手になったのは新聞広告に書いてあった池澤夏樹さんのコメント「ニューヨークにいる気分が味わえる。そしてあの町の様々な顔の人たちに会えるのが楽しい。」私がニューヨークが好きな理由はニューヨーカーが好きだから。ニューヨーク好き仲間にもあまり理解されていないような気がするこの理由は初めてニューヨークに行った時から多分変わっていない気がする。だから最近ニューヨークに行けていない自分にすごく必要な映画だと思ったのです。結果は本当にその通りで、様々な顔の人たちに会えた。
そして、この映画は世界で最も有名な図書館の舞台裏を描くというメインテーマを持ちながら、上流階級からホームレスまで様々な階級の人たちを相手にする施設である図書館を通して、ニューヨークを描いている映画だと思った。ニューヨークが抱える問題はアメリカが抱える問題であり、世界の都市が抱える問題でもあり…現代社会の問題を取り扱う媒体としてニューヨーク公共図書館は最適なテーマだったように思う。メトロポリタン美術館でもなく、シティホールでもなく、やっぱり図書館だから描けたテーマ。3時間25分、集中力をキープするのは大変だったけど、終わり方がとっても素敵で、本当に観てよかった、と思えた映画だった。

by fumiko212 | 2019-06-22 00:33 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(0)

小曽根さんのワークショップとBNTのライブ

先月のことですが今年で6回目という小曽根さんのワークショップを聞きに行った。今まで行こうと思わなかったのは、なんでだろう?音大生とかが聴く内容なのかな?と思っていたからかな。今年はふと目について紹介文を読んだところ、音楽についての楽しいお話と演奏もちょっと、とのこと。会場は大好きな文化会館小ホールだというし、入場料は2000円、90分間と何とも気軽そうな印象を受けてチケットを買ってみました。
前半はアメリカに奴隷として連れてこられた人々が生み出したリズムがどうしてあんなふうだったのか、そして「聖者の行進」が飛び切り明るいのはなぜか?といった「ジャズの歴史」のお話、そして、なぜジャズミュージシャンはアドリブでセッション出来るのか?優れたドラマー、ベーシストはどこがスゴイのか?海外オケと日本のオケで違うところ、優れた演奏家の作り出すアンサンブルはどこが違うか?という今まで自分の中で漠然としていた部分が具体的にどう違う?という部分で理解できたり。後半は客席からの質問に答える形で、自分がやりたい音楽と先生が勧める練習内容が乖離してきたとき、正確なリズムってどこまで必要?、人の演奏を聴くことから得られるインスピレーションのお話し、などなど。
結論から言えば私のようなレベルで音楽に親しむ人間にも響くお話が沢山あって感激のワークショップだった。
そういえば最近小曽根さんのライブに行っていなかったことを思い出し(多分去年1回も聞いてない?)その時買える直近のライブのチケットを焦って予約。それが今週月曜日のBNTでのビッグバンドのライブでした。No Name Horsesのライブは何度も聞いているけど、今回ほど今までと全然違った雰囲気の楽曲が並んだライブはなかったのでは?ハモンドオルガンをあんなにギュイギュイ弾く小曽根さんの姿を見たのは私は初めてだった気がする。これからレコーディングするという新作だけのライブ、熱かったです。来年はCD発売を記念した全国ツアーになるそうですよ。楽しみだ。ホールかなあ。できればまたクラブでやってほしい。

by fumiko212 | 2019-06-22 00:06 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

ギュスターヴ・モロー展

今年前半で楽しみだった展覧会の1つ、ギュスターヴ・モロー展にやっと行ってきた。このためにぐるっとパスを買ったのに行きそこないそうでヒヤヒヤしました。
ギュスターヴ・モローの名前を最初に知ったのは、アートのことは何も知らなかった(今も知らないけど)頃、初めてパリに行ったときに買った地球の歩き方でした。ギュスターヴ・モロー美術館が「出現」の小さな図版とともに掲載されていました。
時が過ぎること四半世紀。やっとその「出現」を見られた。数センチ角の図版でしか見たことがなかった作品が目の前にある。なかなか感慨深い体験だった。図版ではわからなかった浮いたヨハネの首の下の床にたまった赤々とした血だまり、後年書き足されたという細い線で描かれた室内の装飾、が印象に残った。現代のクリエイターにも影響を与えていそうな雰囲気。

モローと言えば、私にとってはルオーやマティス、マルケが通った画塾の先生としての方が名前を観る機会が多かった画家。モロー美術館の初代館長は確かルオーだったんじゃなかったかな?(うろ覚え)弟子たちの画風はみんなバラバラで、そして誰も先生と似てないように見えてた。でも、画家としての生き様にはモロー遺伝子が宿っていたんだ。自分の信じる表現を恐れずに提示し、生涯やりきったってところが。「出現」に後年線を書き足したのは、もしかしたら弟子たちの作品からのインスピレーションだったのかも?きっと素敵な先生だったに違いない。ルオーとマティスの書簡集を読んだときも、確か先生の話が出てきた記憶があって、二人が晩年までモローを敬愛していたことが感じられた。

「出現」は見られたとはいえ、正直全然物足りない。モロー美術館に行きたくなる展覧会でした。

by fumiko212 | 2019-06-21 23:33 | アート | Trackback | Comments(0)

クリムト展とウィーンモダン展、ヴェーベルン

もう2年前になる2017年の年末頃から、マティスやピカソに関する本を半年ばかりかけて何冊か読んで、1900年初頭~第二次世界大戦頃のフランスのアートの世界を垣間見ていた。それを何となく頭の隅に思い起こしながら、この2つの展覧会を見ていると、パリとウィーンの距離とか情報の伝わり方とか受け入れるウィーン側の文化とか気質とか(自分なりの勝手な解釈ではあるけれど)を感じた。
クリムトは早くにウィーンで一度成功してから分離派を結成。しかしウィーンを離れることはなく同じ場所で創作を続けたのはどうしてなんだろう?たとえ本流から外れても、パリに出ずとも生計を立てられるだけの受け入れる側の土壌がウィーンには豊かにあったから、なんだろう。でも、もしパリに行っていたらどんな作品を描いたんだろう?と、もしも説を妄想してしまう。それくらい、ウィーンにいたからこそ、を感じさせる画家なんだと思う。
ウィーン・モダン展には画家と音楽家の交流を感じさせる展示があって、今よりももっとジャンルの垣根を越えて芸術家が刺激しあっていた時代の空気が感じられた。今の時代の方がコミュニケーションの方法は増えているはずなのに、むしろすごくせせこましくなってしまっている気がする。

この2つの展覧会を見た後に、小澤洋介さんのチェロ・リサイタルを聞きに行ったところ、プログラムにクリムトと同時代のウィーンの作曲家ヴェーベルンの「3つの小品 作品11」という楽曲があった。わずか9小節、13小節、10小節の3つの曲からなり、音楽分野における前衛芸術に他ならない様相を呈していて、その研ぎ澄まされた作品が生まれた背景に2つの展覧会で見たあの時代があったことが立体的に実感できた。そして2つの展覧会で見た作品が、素晴らしくはあるけれどそれは過去の優れた芸術の痕跡として感じられたのに対し、音楽ではその新鮮味が失われていないことに驚いた。やはり生身の人間がそこで表現しているからなのか?音楽という芸術の底力を見た気がした。

by fumiko212 | 2019-06-21 21:26 | アート | Trackback | Comments(0)