<   2018年 11月 ( 2 )   > この月の画像一覧

11月4館目:大原美術館(前編)

数年前、国立新美術館で大原美術館展があり、そのころからずっと行きたかった大原美術館にやっと行くことができました。今回は2度目の訪問。1度目は学生の頃だったので、アート鑑賞経験ゼロでした。元美術部だった友人にいろいろ教わりながら結構楽しく鑑賞した記憶がありました。でもあれは本館だけだったと知ったのは、新美の企画展の時だったという、、、汗

新美の企画展では本館、工芸館、東洋館、分館、過去のアーティスト・イン・レジデンスの作品からそれぞれ選りすぐりが来京していました。その充実度から、全館を1日で見るのはかなり厳しいのでは?と心配していたのですが、実はそれぞれの施設はあまり広くなく、見るのが遅い私でも3時間ほどですべて見て回れました。というか、私の場合、解説文があると読まずにいられないので時間がかかるのです。大原は作品ごとの解説文はあまりないので作品に集中でき、解説を読む人で作品の前が無駄に混まないのが良いです。私は張り切って開館と同時に入館しましたが、実は30分くらいしてから行った方がチケット売り場で並んだりせず、人もばらけて見やすいのかもしれません。

どこから見ても良いのですが、やはり本館から鑑賞を始めました。第1室は1800年代までの西洋絵画。都内の新しい美術館での鑑賞に慣れている私には、大原の展示室の環境はちょっと厳しく感じたのが最初の印象です。後ろの作品があってあまり下がれず照明の反射で上部が非常に見づらかった作品もありました。キャンバスが波打っているのが気になる作品もあったり。粗探ししているようで自分が嫌になります。きっと自分が集中していなかったからだと思うんです。第1室は人が多かったので、先に第2室を観ることにしました。1900年代の絵画が中心の部屋で、半分は抽象絵画。でもそこでのんびり作品を観ているうちに気持ちが落ち着いてきて、そんな御託は頭から消え、作品に集中できるようになりました。出来れば見たかったルソーとミュージアムショップに絵葉書が置いてあったマルケが展示されていなかったのは残念だったのですが、それでも各時代の各作家を象徴するような作品が並んでいる展示室はとっても贅沢でした。

印象に残ったのはゴーギャンの「かぐわしき大地」。というのは、つい先日、あれはゴーギャンがゴーギャンになった作品だと話を聞いたばかりだった「説教の後の幻影」を思い出したから。あの絵の赤い地面と、この「かぐわしき大地」の女性の背景とが何となく自分の中でリンクした。「説教の後の幻影」の実物は多分見たことがないのだけれど、こんな色なのかなあ、、、そして手前の女性はすごく立体を感じるのに背景が多色刷りの版画のように見える(平面的ということか)ことに気づいたりもしてなんだかおもしろい絵だなあと。そしてブルターニュで自然の模倣を止めたゴーギャンが、自然を求めるかのようにタヒチに移り、それでもやはり自然を模倣することはしていないのか。。。

次に向かったのが工芸館。この夏、親しんだ民藝の人々の作品を中心とした展示館へ。本館よりもさらに天井が低くなり、薄暗い展示室が続きます。第1室は濱田庄司。狭い展示室には3段組みでぎっしりと作品が並ぶ。正直、世田美で見た作品の方が良かったかな~。世田美にも展示されていた黒と白に釉薬をかけ分けた大鉢に濱田が指で模様を付けた作品があったのですが、世田美で見たときのギュッとつかまれる感じがなかった。これはもう堀尾さんのセンスが素晴らしかったのだと思う。大原さんもきっと窯元で作品を選んだのだと思うけれど。
しかし、ここの素晴らしい点は、この後、バーナード・リーチ、河井寛二郎、富本憲吉、と夏に原田マハさんの「リーチ先生」を読んだ私にはストライクなラインナップを一度に観られること。富本、河井が濱田・リーチとは別の道を歩んでいたことが作品からヒシヒシと感じられた。河井寛二郎の独特な形には惹かれるものがありました。
後半は棟方志功、芹沢銈介。夏に日本民藝館で柚木さんの染物を観たこともあり、柚木さんが憧れたという芹沢の染色を観られて良かった。茶色地に左右の曲線を上下で鋭角に閉じた形に囲まれた幾何学模様が連なる柄の布が素敵でした。あんなカーテンにしたい。いろはを染め抜いた作品は、文字の横にその文字で始まるものが描かれていて、今の生活ではパッと浮かばないものや、ちょっとユーモアを感じるものが選ばれていたりするのが、楽しかった。どうしてもわからないものがあって、途中から隣で見始めた60代くらいの男性に「これなんだと思いますか?」といくつか聞いてしまった。それでも解読できないものが残っていたところに、もう少しお姉さんの女性が来られたので質問したところ、パッパッとお答えくださって、さすが!と思いました。例えば「け」の絵がわからなかったのですが、「袈裟ね」と速攻でお答えくださったり。今の生活だとすぐ浮かばないものよね~と言いながら颯爽と次の作品へ移って行かれました。自分はものを知らないなあと再認識。人生の先輩の知識って素晴らしい。

続いて東洋館へ。先週末に三井美術館で平安~鎌倉の日本の仏像彫刻を観たばかりで、もっと古い時代の大陸の石仏の展示はタイムリーでもあり興味深かった。中世のキリスト教芸術とも通じるところがあるのかなあ。三井で見た木彫はルネサンス以降という雰囲気。その年代がキリスト教よりも500年くらいスライドするのが宗教の歴史と一致しているようで興味深い。ガンダーラ仏の濃いめのお顔立ちなんかを確認できたのも良かったな。縄文展の土偶の顔が狭い日本列島の中でもあれだけ多様なように、仏像と言っても時代や地域でお顔立ちが変わっていくものなんだ。つまりは何となく自分たちに似た顔にするのかなあ。三井で見た木彫仏と比べてずっとシンプルな石仏って温かみがあってなんか好きだ~と感じた展示でした。アンコールワットとかボロブドゥールとか、行ってみたくなる。

ここまで見終わって、最後の分館へ行く途中に新渓園という庭園とそれを囲む旧宅があり、そこでしばし紅葉を愛でつつ休憩。コーヒーがいただけるようでした。大原美術館にはカフェやレストランがないので、もしお茶でも飲みたければここでいただくか、当日再入場可能なので近隣で一服するかになります。

最後は分館です。ここには日本の作家による近現代美術が展示されていました。新美で見た関根正二の「信仰の悲しみ」を観られた。というか見る瞬間までこの絵のことを忘れていたのですが、見たらあの時の感動がよみがえってきました。それから最近私の中で静かにブームになっている柳原義辰の道標シリーズの鳩がいました。展示室の廊下から見える中庭に展示されており、ガラス越しの少し離れた場所からしか見られない。ドアがあるんだけど鍵が閉まってる。向こう側にからも見たくて回り込んだらトイレにつづく通路で、そこはガラスがなくて縄のれんみたいなのがかかっているだけだった。ここから中庭に入っていいのだろうか、、、警備の男性が通りがかったので聞いてみた。「どうして入りたいのですか?」と聞かれたので「ガラス越しでなく直接見たいんです。」というと、ちょっと考えて、「いいですよ、どうぞ入ってください。」と言って行ってしまった。なんて融通が利くんだ!ありがとうございます。じっくり見られてうれしかった。そうそう、この方に限らず、大原のスタッフさんは全体的に感じが良いのです。すれ違うとにこにこと会釈をしてくださったり。全体的に年配の方が多いからかなあ。そういうところも都会の美術館と違って優しい気持ちになります。

ここまで見終わって12時を少し回ったところ。実は本館の第1室を抜けたところに13時半から始まる鑑賞ツアーの案内があり、せっかくだからそれに参加したいと思っていたんです。1時間半あるので、一度外に出て昼食をとり、戻ってくることにしました。
このツアーが本当に素晴らしかった。なので、エントリを分けて書きます。

[PR]
by fumiko212 | 2018-11-12 22:35 | アート | Trackback | Comments(0)

11月3館目:太陽の塔

順番が後先になりますが、近いところから書くことにしました。
この週末、大阪~兵庫~岡山県を横断してきました。目的は神戸でイッサーリスが出るコンサートを聴くことだったので、神戸空港まで飛行機で往復すればいいのかな?と考えてました。しかしコンサートの前にどこか寄り道先を考えて、伊丹に行けば太陽の塔に行ける!とさっそく入館券を予約。思ったより遅い時間の飛行機しか取れず、今回も駆け足で内部見学だけをする感じで行くことになってしまった。いつになったらみんぱく(国立民族学博物館)に行けるんだろう…。
万博公園駅に着くと、雨の予報だったにもかかわらず早めに天気が回復して太陽がギラギラと照りつけ、遠くで太陽の塔が輝いているのが見えた!おお!前回は曇天だったのでこの光景を観られなかったのだ。そして、2度目だけれど観た瞬間にやっぱり心臓がドキンとする。体の深いところが反応する感じ。そして写真ではどんなに拡大しても伝わらないなにものかが、まだまだ遠く離れた駅前からの距離でもグオングオン伝わってくる。50年近くたっても全然衰えていないのだ。
飛行機がちょっと遅れて時間ギリギリだったので外観の写真は後回しにして小走りで塔に向かう。以前よりも塔の周りに人が多い。塔の裏から地下に入っていくとそこがチケット売り場。チケットを買ってまずは地底の太陽ゾーンで展示を観ながら時間まで待機することになります。入口から続く通路に、太郎が最初に万博のモニュメントの構想を始めた6月(多分69年か68年が記録忘れ)の日付入りデッサンの複製が展示されていて、これは必見です。少しずつ太陽の塔の形が表れ始めるのが7月、8月くらいだったかな。最終的に9月の日付で今の太陽の塔の形になるのですが、時期を追うごとに鉛筆の線が炎のように揺らめきながらだんだんとあの形が表れてくる様で当時の息吹のようなものを感じました。すべてを観終わった後、実はあのデッサンの複製が一番印象に残ったかもしれない。
地底の太陽は複製ながら迫力十分でした。周囲にはアフリカ・アジア・オセアニアを中心としたものだと思うのですが、呪術的な印象の仮面や人型の像などが並んでいます。それらは皆古いもののはずなのですが、やはり太陽の塔と同じく衰えないパワーを感じられるものでした。うーん、みんぱく行きたい。
予約時間となり、いよいよ復元された生命の木ゾーンに。16人程度までのグループで入場し、案内の女性が各フロアに待機していて、一定の時間区切ってそのフロアから見える模型類を鑑賞する、という方式で頂上まで登って行きました。テレビで紹介されていたけれど、この模型類は多くが失われており、新たに復元したもの、残っていたものに関しては痛んだ状態のまま、もしくは補修して展示されているとのことでした。説明によると万博当時にはこの模型たちが動いていたそうなのですが、現在は動く模型は1体もありません。また、万博当時は1000体もの模型があったそうですが、今回はすべては復元していないとのこと。

結論から言うと、現在の展示は少々すっきりときれいにまとまりすぎてしまっているのではないか?という印象を受けました。今でも私が知らないあの70年の万博で溜めた熱を少しずつ発し続けているような外側に対し、内部がどうしても綺麗すぎる感じがしたのです。想像でしかないのだけれど、高度経済成長が頂点に達しようとしていたあの時代に岡本太郎が投じたマグマの塊たる太陽の塔の内部、を現代に再現するのは難しかったのかなあ。

展示の要所要所には万博当時のままの案内板が残っており、そこに太郎の魂が宿っている1枚を見つけました。頂上にあった太陽讃歌のような言葉。メモしてこなかったのでここにそっくり書くことはできないのですが、アメーバからつづく生物の進化は太陽の光なくしてはなしえなかったこと、そして人類は太陽を称えて世界各地で祭りを行う、というようなことが書いてありました。この太郎の言葉で生命の木の展示は締めくくられ、万博当時の観客は塔の腕を伝うエスカレーターに乗って、大屋根の未来の展示へと向かったそうです。そこには輝かしい夢の未来だけでなく、核戦争のような不穏な未来をも予見されていたとの解説がありました。この万博の翌年には福島の原子力発電所が稼働し始めたのです。

岡本太郎というと情熱とか爆発とか陽のエネルギーの人という印象があるけれど、著作から感じられる静かに冷めた視線、陰のエネルギーが作品にもちゃんと潜んでいることを再認識しました。
そうした感慨を持ってもう一度外観を見ると、背中側の黒い顔の意味がはっきりと感じ取れる気がしました。過去を表わすというこの顔は、大地と未来をつなぐものであり、生命の木がどんなに太陽に向かって枝を伸ばし神の領域に近づこうとしても、未来を表す金の顔が胴体からどんなに首を伸ばしても、その根は絶対にこの大地から離れない。いつも過去がそこにつなぎとめている。それを太陽の裏側で見つめている月のようでもある。

内部の観賞は今回の一度でよいけれど、外観はこの先何度でも見に行きたい。あれは一体何なのだろう。万博の翌年に生まれた私は、あれがどうしても自分とどこかでつながっているような気がしてしまうのです。

[PR]
by fumiko212 | 2018-11-11 21:23 | アート | Trackback | Comments(0)