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10月4館目:東京国立近代美術館

ぐるっとパス月間なので、前々から行こうと思っていた近美の常設を見に行きました。ひとつ前の住友の美術館からのハシゴです。近美は新美術館が出来てから、あまり見たい企画展をやらなくなったので、常設も全然見なくなってしまった。もしかしたら10年とかぶりだったかもしれない、、、
常設は4階から見るようになっていて、最初にハイライトの部屋があります。その1点目が、なんと菱田春草の作品でした。何という偶然!住友の美術館では1枚目から見る気力がわかなかったのに、こっちは1枚目ですごいやる気が出た。あ、そうそう、春草と言えば大観とともに朦朧体に取り組んだ画家なんだそうです。さっきのエントリに描くのを忘れましたが、あの展覧会には春草以外にも朦朧体の人たちの作品がたくさん出ていたのですが(大観はなかった)、他の人たちの朦朧体はイマイチだなと思ったんです。というのが、その人たちの朦朧体の表現て、浮世絵版画の背景を拙くした感じに見えたから。でも春草のは3作品あって、それぞれが違う表現だけれど輪郭線をなくすことに成功していて、そこもまたよかったんですよ。で、近美に展示されていたのは美しい女性たちの描かれた屏風だったのですが、着物の輪郭線は描かれておらず、さっき見た3作品とはまた違う表現なのにこれもまた成功してる。今年は大観の企画展があったから、来年あたり春草の企画展があると良いな~。まとめていろいろ見たくなりました。

この部屋にはルソーのアンデパンダン展の作品も出ていました。久々に観られてうれしかった。

ハイライトの部屋が終わると時代の流れに沿って所蔵品の展示が始まります。絵画が中心だけれど、日本画と洋画、海外の作家の作品もすべてごちゃまぜ、写真、立体、映像、インスタレーションなど、表現もごちゃまぜ、だけど時代順、という展示、面白かった。

この日は菱田春草との出会いがあって、すでに大満足していたのですが、もう一人新たな画家と出会いました。(出会いとは、この人の作品もっと見たい!と思ったという意味)横山操という日本画の画家。一応、日本画の画家、でいいと思うのですが、オイルパステル、油絵も展示されていました。ミニ特集程度に作品と資料が10点近くあったでしょうか。アメリカを旅しながら描いた作品が何点かあり、その中に縦長の巨大な作品、「ウォール街」がありました。モノクロで描かれた林立する高層ビル、そのビルに切り取られた細いV字型の青空、ビルに反射した夕日なのか一部だけ赤く塗られたビルの尖塔。その3色の配分が絶妙にちょうどいい!それぞれがそれぞれを引き立てあっている。もう、絶対見てほしい。ウィキペディアによると代表作とのことなので、詳しい方は知っているかもしれないけれど、見たことない方はググってみてください。めちゃめちゃかっこいい作品です。で、これがあくまでも日本画の画材で描かれているのです。支持体は紙(多分和紙?)。すごい。
同じくらいのサイズの焼け落ちた五重塔を描いた作品もすごかったです。コンテか木炭で描いたイーストリバーから見た摩天楼のスケッチも素敵でした。いやもう、もっとこの人の作品を観たい。実は、横山操の名は少し前に日曜美術館のアートシーンで見て気になっていたんです。遺品などを展示した企画展の紹介でした。確かぐるっとパスに入っていた三鷹の美術館だったので、これは行くべし!と思ったのですが、なんと17日で終わってしまっていました。残念すぎる~。だってチケットを持っていたんですから(ぐるっとパスのこと)。知らないってこういうことなんだな~。そういえばオイルパステルの作品があったから、もしかしたら8月のクレパス展で見てたのかも?色々な後悔がよぎりました。

このミニコーナーに横山操と一緒に展示されていた加山又造という人の作品もなかなか良かったです。「月と犀」という作品。ルソーの「眠れるジプシー」を彷彿とさせる構図の作品で、これもすごく印象に残りました。

他にはなんとエレベーターホールに展示されていた、舟越保武の「原の城」。先日笠間の彫刻庭園にもあった作品だと思うのですが、あの時は少し離れたところから見たのと、同じ庭園にあったそのほかの作品とのギャップでなんだかよくわかっていなかったのですが、間近に見たらすごい作品だと理解できました。開いた目と口の空洞がこんなに訴えてくるとは、、、声にならない叫びが聞こえ、目には見えない絶望が見えた、と言えばいいのか。。。すごい。この間、全然わかってなくてごめんなさい。
隣には柳原義達の姿はかっこいいのに顔に愛嬌のある鴉のブロンズ(タイトル忘れたので検索したら多分「風の中の鴉」という作品)。世田美の地下のエレベーター横に「バルザックのモデルたりし男」という作品があるのですが、それもそんな雰囲気があって、ああ、私この人の作品好きなんだなと改めて感じました。

結構な作品数を観たのだけれど、最後まで飽きることなく楽しめる、いい展示でした。展示替えごとに来られるようにしようと思います。もらってきたチラシを見ると、毎月第1日曜は無料なのですよ!そうでなくても500円です。所蔵品は13000点あるということなので、永遠に楽しめそうです。(ちなみに世田美の所蔵品数は16000点なので、それより少ないのか!という驚きもあった。)

それから、解説ボランティア募集のチラシを見つけました。美術館のボランティアをやってみたいなと思った時に、最初に見つけたのがこの美術館のボランティア募集のHPでした。すでに応募期間が過ぎていて、次の予定も出ていないし不定期採用なのねって思ていたら、今まさに募集中だったのです。書類選考と面接、その後講座を受けてレポート提出をして、やっとボランティアになれると書いてあります。世田美の学芸員さんに伺った話では、世田美のように申込書を書けばその日からボランティアができる美術館の方が珍しいそうです。もちろん世田美でも企画展やコレクション展が始まるタイミングで担当の学芸員さんによるレクチャーを受けるのですが、その知識を子供たちに必ず話さなければならないという決まりはありません。世田美の学芸員さんいわく、うちのボランティアは美術館にとって都合のいい人を選ぶのではなく、美術館にどんどん意見を言ってくれる人に来てほしいから選考はしない、とのこと。位置づけとしては、スタッフの下で働く人ではなく、最も頻繁に来館する美術館のヘビーユーザーたるお客さん、なのだそうです。だからボランティアが楽しめるのかも。

そういえば、今度の東京オリンピックのボランティアはやりがい搾取だとか一部ネットで言われているようですが、特に文化ボランティアやスポーツボランティアに限って言えば、お客さんとして一番深くそこにかかわれるアクティビティだと言っても語弊はないと思ってるんだけど。。。東京マラソンだったら、もちろん走れるのが一番楽しいけど、その次に楽しめるのがボランティアかなあと思ってます。沿道で応援するのと同じくらいかそれよりももうちょっと楽しくて、もうちょっと深くランナーとコミュニケーションできる。確かにランナーの中には感じ悪い人もいるけど(わからなかったりして聞いてきますみたいなことになると舌打ちする人とかいるんです。ボランティアとわかってて(ジャケットにボランティアと書いてある)おおらかに待ってくれる人の方がずっと多いですが)、バイトでやってたら、そういう時、30倍くらいストレスを感じると思う。

話がそれた。

久々に行った近美がいろいろ良かったという話でした。

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by fumiko212 | 2018-10-21 22:30 | アート | Trackback | Comments(0)

10月3館目:狩野芳崖と四天王/泉屋博古館分館

パナソニックミュージアムでこの展覧会のチラシを見つけました。つい最近、明治以降の日本画の画材についてのお話を聞いて、その時の講師の先生が学生時代に研究対象とされていたという狩野芳崖の仁王捉鬼図、そしてその芳崖の絶筆、悲母観音が同時に展示されるというので、さっそく見に行ったのです。

仁王捉鬼図は明治以降入ってきた化学顔料をふんだんに使った極彩色の作品で、それを知って見るからますます仁王の赤と背後を取り巻く緑の雲?がこの日に展示されていたどの作品とも違って見えました。隣に悲母観音があって、こちらのほうがサイズはずっと大きいし全体が金粉で覆われているのだけれど、画面から受ける強烈な印象は仁王捉鬼図の方が強いかもしれない。

悲母観音も一度は見たかったので見られて満足。金粉でキラッキラに輝いているのかと想像していたけれど、もっと落ち着いた感じでした。観音様は空中に浮いていて、その手に持った小瓶から水滴が落ちて童子が地上に落ちていく、という解説があったのですが、童子のいるあたりの背景の色が海底のような深い色で、私にはカプセルに入った子供が海底に落ちていくように見えた。金よりもむしろその何色と言えないような深い色が印象に残りました。童子の体にまとわりついている帯のようなものは、目を凝らせば凝らすほどへその緒のように見えて、そうするとますます子供の周りにあるのは気体ではなくて液体に見えてくるのですよ。現代日本画のアーティストがもっとグロテスクな表現でこんな絵を描いていそう、、、と思ってしまった。そう思うと明治にこんな絵を描いた芳崖はやっぱり日本画の新しい地平を切り開いた人と言っていいのかなあと感じました。

2つ目の展示室に、菱田春草の作品がいくつかあって、「落葉」という六曲一双の屏風絵が素敵でした。空気遠近法で描かれた木立と落葉、そして小さな鳥が2羽描かれたもので、奥までずーっと吸い込まれそうな幻想的な作品。この屏風を観ていて思い出したのが、前にゴッホ展で見た「ポプラ林の中の二人」という作品。この絵も地面を見下ろすような高さから木立を描いたもので構図が良く似ていた。それと同時期の「花咲く灌木」に描かれていた色鮮やかな木の幹と、この「落葉」に描かれていた木の幹がそっくりだったのにも驚きました。この幹を観て、菱田春草に俄然興味がわきました。菱田春草は36歳で亡くなったと言います。そして「落葉」はその亡くなる前年に描かれたもの。色々重なっているように感じてしまう。他の作品ももっと見たくなりました。

ところで、この展覧会の会場に入った時に、ちょっとじっくり見る気力が最初の1枚から全然湧き起こらず、なんだか展覧会観すぎたかなあ、、、と思ってしまった。なので、目当ての2枚を観た後は解説も読まずにブラブラと見て回りました。それでも菱田春草と出会えたりもして満足度は結構高かった。


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by fumiko212 | 2018-10-21 20:51 | アート | Trackback | Comments(0)

10月2館目:ジョルジュ・ルオー聖なる芸術とモデルにて/パナソニック汐留ミュージアム

朝倉彫塑館(日暮里駅)からハシゴしたのが新橋のパナソニックミュージアム。動線を考えずに見たいところに行ったために、この日は山手線を1周することになってしまった。

ルオー展と銘打った展示を見るのは初めてでした。同時代の複数の画家の中にたまに混じっているルオーの作品は、ほかのどの画家とも全く違う個性が際立っていて、見入ってしまいます。でも私は気になりつつもルオーをよく見ていなかったと、今回気づかされました。厚みばっかり気になっていたけれど、実はすごく透明感のある画面で、色彩がクリアで美しい。油絵具の2大特性である透明性と可塑性を存分に生かした絵画がここにある。中でも後半にあった秋の夕暮や夜明けの風景が良かったな。1月に南仏に行ったときに、ヴァンスから帰るバスの中から見えた夕暮れの光に映えるサン・ポール・ヴァンスの街並みを思い出しました。まさにあんな色に光り輝いていた。

そして、これらの油彩画を観る前にもっと感動したのが、展覧会の一番最初に展示してあった銅版画の数々。ミセレーレという版画集からの作品で、様々な技法を使って表現される白と黒の世界に引き込まれました。さらに感動的なのが、その原版が一部展示されていたのです。これは必見です。100年近く経過しているのに版面は美しいまま。あれだけの大きく重い銅版を様々な技法で彫っていったルオーの手の動きが感じられるようでした。
またこの版画集の試し刷りに着色した兄弟のような作品も展示されており、展示室を行きつ戻りつしながら見比べるのも楽しかった。

以前、マティスとルオーの書簡集を読んだときに、画商ヴォラールとの裁判で疲弊するルオーの痛々しい姿が印象に残っているけれど、そんな困難の中でも、こうしてたくさんの作品を残してくれたことに感謝。今回、初めてまとめて作品を観た版画にことさら感動したので、定期的にルオーに関する特別展を開催しているパナソニックミュージアムで、いつか版画をたっぷり集めた展示を見られると良いなあ。

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by fumiko212 | 2018-10-20 00:09 | アート | Trackback | Comments(0)

10月1館目:朝倉彫塑館

今月はぐるっとパス消費月間のようになっています。無料で入れる施設を中心に訪問中。相変わらずのケチ根性で頑張ってます。

まずは朝倉彫塑館。この施設は、夏に図書館で借りてきた伊藤まさこさんの美術館めぐりの本に出ていて知りました。こじんまりした美術館をたくさん紹介している本です。この本に出ていた美術館のいくつかにぐるっとパスで行けます。

朝倉彫塑館は彫刻家の朝倉文夫のアトリエと隣接する旧宅を作品とともに公開している施設です。現在「彫刻家の眼」という特別展を開催中で、この彫刻家の作品だけでなく、コレクションした品々も展示されていました。コレクションは例えば根付け、茶道具(展示されていたのは茶碗ではなく茶杓のコレクション)、小さなガラス器、アジア各地からの舶来品、貝、ひょうたんなどの自然の造形物、刃物などの道具類などなど。解説によると多趣味の人だったそうです。洋風建築のアトリエと純日本建築の立派な旧宅はどちらも華美というのでもないけれど贅沢に作られていて、日本民藝館かそれ以上に整った空間に目を見張りました。旧宅のそこここから眺められる庭も完璧に手入れされています。建具や庭の石や家具類やらがとにかくお金がかかっている感じがする。
いったいどういう来歴の人なんだろうか?と資料を見ると、兄も彫塑家でその兄を頼って大分から上京し東京美術学校に入学、卒業と同時に谷中にアトリエと住居を構え(ということはやはり裕福な家庭の子弟だったのかな?)、その後順調に官展で受賞を重ね、母校にて教鞭をとった、とあります。芸術界のエリートだったのでしょう。

アトリエに展示されていた作品群は古典的な写実表現のものでした。巨大な(3~4メートルありそう)大隈重信像とか名前は忘れたけどもっとデカイ誰かの像もあった。ああいうのどうなんだろう。権力とお友達っていう感じでちょっと引きました、、、こういう作品を作る芸術家は、現役時代にあれだけ贅を凝らした居宅と品々に囲まれ、充実した広さと設備のアトリエを持ち、門下生を多数抱え、という人生を送れたのだなあ。まあ、私の偏見です。あ、でも腕~手だけのブロンズはよかったかな。デカイ彫刻の手だけをじっくり見るとかすると、ちょっと楽しめた。旧宅の方に、朝倉の趣味だった蘭の栽培に使っていた温室のような部屋があり、そこに猫のブロンズが多数展示されていて、こっちの方がとっつきやすいし面白かった。晩年の作品ということでギラギラした感じがないのが良かったのかも。
木彫作品は1つも展示されていなかったけれど、愛用のノミが何本か展示されていました。どれも元の長さの半分くらいまで砥いで短くなっていて、ノミってあそこまで使い込めるんだなあと思った。せっかくなら木彫作品が1つくらい展示されていたらよかったのにな。

作品をもう一度見たいとはあまり思わないけど、あの楓がたくさん植わっていた庭を紅葉のピークに一度見てみたいかも。いつかその時期にぐるっとパスを買うことがあったら見に行こうと思います。

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by fumiko212 | 2018-10-19 23:23 | アート | Trackback | Comments(0)

アントニオ・メネセス チェロ公開マスタークラス

公開マスタークラスの聴講というのを初めてしました。受講生は10代の3人のチェリストで、各々が小品を演奏し、そのあとメネセスさんが舞台上で彼らにアドバイスするという流れで行われました。受講生はそれぞれの年代で日本を代表するレベルのチェリストなのだと思います。その彼らへのアドバイスがなんと自分にもとても役立つ(ものもあった)。そして、それって先生に言われたことあるよなーってことだったりもした。忘れないうちに記録。

1人目
f→pが極端すぎる。その中間もある。そうした表現の方が音楽的になる。

ポジションチェンジ、特に下降系(4p→2pのように上に戻るとき)が気になる。ポジションチェンジの準備をしながら演奏する。押えていない指を次のポジションに移動させておく(指を閉じる)。1本の弦でスケールの下降系を弾く練習をする。指が波打つように弦を上っていく感じになる。

右手のフォーム、肘を上げて弦を上から押すように弾いているのを直す必要あり。肩・肘を落とし腕の重さを弓に載せれば押す必要がなくなる。はるかに楽に弾けるようになるはず。

左手が速く動くときに音の粒がそろわないところ。手の都合になってる。1音ずつはっきりとさせる(言葉なら滑舌がいい状態)とどんな広いホールでも一番後ろのお客さんにまでちゃんと届く。まずは左だけで練習。


2人目
移弦を伴う2音(重音の押さえで)を連続して繰り返しスラーをかけて演奏する(エクササイズ34の19,24のような)が出来てない。まず重音で練習する。(手首で弓をバウンドさせるように強弱をつけながら全弓でボウイングする。)それが出来たら解放弦で3音ずつくらいから練習する。だんだん数を増やし、スピードを上げる。(お手本のメネセスさんの手首の動きがほとんど動いていないくらいにわずかに滑らかに動いていることに感動。私などあの10倍は手首を返してる。弓は弦にどのように接地しているのだろうか、、、)これに限らず、できないところは、まずは左右別々に、右ができないなら解放弦でやってみる。そしてゆっくりやる。1日ごとに5ずつスピードを上げる。1週間でかなり早くできるようになるはず。難しいところを難しいと思わずに弾けるペースまで落として練習する。優れた教師は子供に対してそう教える。難しいと一度も感じずにできるようになれば苦手意識を持たずにできる。

表現について。自分はこの音楽をどう表現したいのか、を考える。それが自分の考えであれば、説得力が出る。自分のしたい表現を実現するにはテクニックが完璧であることは絶対に必要。楽譜は楽譜のままでは芸術ではない。演奏家が演奏することで芸術になる。ただ弾いたのではだめで自分の考えを持って表現しなければ芸術にならない。(自分とカザルスは全然表現が違うが、カザルスを聞いたときにそれに反対だとは思わない。なぜならカザルスの考えが実現されており、それに説得力があるから。)

リスクを回避して弾いてもパッションは伝わらない。音が割れるギリギリのところ、割れてもいいという気持ちで弾かなければ伝わらない。ダウンに対してアップで弱くなっている。駒寄りで弾くのはリスクが高いが、駒寄り、指板寄り、など弾く場所を自分でコントロールできなければならない。(多分、出したい音により弾く場所を選ぶ、ということ?安全だからという理由で場所を選ぶのではなく)まず解放弦でやってみる。

例えば喜びに満ち溢れた音を出すのであれば、ピアノは自分を祝福するために鳴っている、お客さんみんなが自分を祝福している、と思い込んで音を出す。悲しみの感情も同様に。そのくらいの想像力を持って音を出す。

半音(A線のE♭E)の2音ですでに意味が生じており、それは次のFに向かっていく。そしてGへ、と方向性が最初のE♭Eで提示されている。2つの音があればそこには意味があるはず。(他の生徒へのアドバイスだったかも?)

(チェロ演奏に限らずすべてのプロフェッショナルとしての振る舞いに通じると感じたアドバイス)あなたはすでにチェロを学ぶ学生のレベルを超えている。これからは芸術家としてふるまうことを学ばなければならない。ステージに現れた瞬間から観客はあなたを観ている。どんなに緊張していても、堂々と、自分は偉大な芸術家だという態度をとらなければならない。(コンクールやオーケストラのオーディションも同じで、あのような緊張したそぶりは評価を下げる要因になる。)

3人目
アクセントが右手の都合でついている。音楽の表現としてしかるべきアクセントをつけなければ絶対にダメ。言葉にアクセントがあるように、音楽のフレーズにもそれ以外には考えられない正しいアクセントがある。一番強いところが頂点であり、それ以外はそれと同等、もしくは大きくなってはいけない。小さなフレーズが連なって大きなフレーズとなりそこにもまたアクセントがある。(この説明の時にメネセスさんが弾かれたバッハ3番ブーレの出だしのところが素敵すぎて天国だった)アクセントのない音楽を聞かされると観客はすぐに飽きてくる。(1回目の演奏でビブラートのかけ方が全部同じに聞こえたのはそれが原因だったのかな?)
アーフタクトを例にとって、アーフタクトは次へ向かうからアーフタクトなのだ(というような説明だったと理解した。)

ピアノが主旋律でチェロは伴奏の部分であるにもかかわらず、こってりと演奏していた。独りよがりの音楽になっている。自分の楽譜だけを勉強していたのでは不十分で、他のパートも勉強すること。自分の役割を理解してそれにふさわしい演奏をする。(1回目の演奏で不可解に感じた部分だったのですごく納得)

(実際の楽譜はわからないけれど、エクササイズ33の25の付点16分+32分みたいな)アップとダウンで長さの違う音が続くときのボウイングでどんどん弓先に寄って行ってしまうところがあったが、常に弓元に戻るように円を描くように弓を動かす練習を。そうすれば自分のコントロールしやすい弓元で弾ける。

3人の受講生への指導が終わった後、最後に客席の私たち中高年チェロ学習者へのメッセージをいただきました。
「現在94歳の偉大なピアニストがおられるが、自分が40歳くらいの時にそのピアニストとトリオで仕事をしたことがある。その仕事では人生で一番多くの学びがあった。いつでも遅すぎるということはない。けれども常に努力を怠ってはいけない。努力を続ける限り、生涯楽しむことができる。」

そして、何度も繰り返しおっしゃったことは、「自分の意志で演奏するには右手、左手とも完璧なテクニックが絶対に必要」

全く別の場所で、ある人がこういったのを聞いた。「中高年から絵画を始める場合、テクニックをじっくりやってたら間に合わない。人生を描け。」「絵はヘタウマが許されるけど音楽は鍛練が必須でしょ。だから絵の方が楽しい。」こんな話を聞くと、被害妄想が入ってしまうけど、大人になって楽器を始めることを否定されているように感じてしまった。
私のチェロはもうすぐ10年になるけど、技術としては万年ビギナー。アンサンブルや合奏にあこがれるけど、私のレベルだと苦痛ばかりになりそうで結局尻込みしたまま。それを目標に練習を積むのも一つの方法だとは思う。だけど、そうやって集団に入るとやっぱり人と比べてしまったりして悲しくなって嫌いになってしまうかもしれない。というのは、この半年ばかり逡巡した結果たどり着いた結論。少しずつでも鍛練を積んで、弾けなかった曲が前より弾けるようになったり、音がしっかりしてきたり、自分なりに上達したと思える。そういうことでもいいんじゃないかなあ。だって、どのくらい生きるかはわからないけれど、生涯楽しめるものとすでに出会えてるってありがたいことだもの。これからも自分がやりたいと思い続けられるように大事に付き合っていこうと思う。

今のタイミングでこのようなお話を聞ける機会が得られて本当によかった。教えてくれたSさん、ありがとうございました。

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by fumiko212 | 2018-10-11 22:58 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

9月7館目:民家の画家 向井潤吉 人物交流記/世田谷美術館

水戸に行った翌日、翌週には子供たちと一緒に鑑賞しなければならなかったので、頑張って見に行ってきました。向井潤吉は世田美の分館で古民家を題材にした風景画をまとめてみたことがある程度で、世田美とはゆかりの深い画家ではありながらあまり深く知らない画家でした。今回は、本館での企画展示ということで、全画業を網羅するかなり出品数の多い展示でした。11時半ころから見始めて、思ったよりも時間がかかり、空腹で倒れそうになりながら見届けました。もしこれから行く方は間に一度カフェで休憩したらよいかも。出口でスタンプを押してもらうと再入場できます。

私にとって一番興味深かったのは20代後半に2年間パリに滞在した間の作品群。向井はメモ魔だったそうで、パリでの2年間の生活についての記述が掲示されていました。それによると、14区に居を構えた向井は、朝はカフェでクロワッサン2個とコーヒーを飲み、パンにハム(余裕がなくなるとチーズになる)を挟んだサンドウィッチを持って地下鉄でルーブル美術館に模写に出かけます。午前中いっぱい模写をして、忙しいときは模写をしながら、そうでないときはトイレでサンドウィッチを食べ、最後に1日1室だけルーブルの展示をじっくりと見たら徒歩で4キロほどの道のりを帰ります。午後は自宅アトリエで自分の自由な作品を制作し(何点か展示があり、スーティン風の作品でした)、夕食後はモンパルナスのデッサン研究所でデッサンを学ぶ。そんな2年間を過ごしたのだそうです。とにかく貧乏だったとのことなのですが、なんて豊かな2年間を過ごしたのだろうと胸が熱くなりました。帰国後は戦争画、そして戦後は日本の古民家を描くことになる向井の若き日の夢のような時間を感じる展示コーナーは私の一番のお気に入りになりました。

古民家のコーナーでは旅のエッセイも幾つか展示されており、まず作品を観てからエッセイを読みまわったのですが、納得したことが一つ。作品を観たとき、キラキラと青空が輝く作品よりも曇天・雨天・霧が煙る情景を描いたものに良いものが多いと感じました。一番気に入ったのは「最上川早春」で、前景に雪解け水で水量の増した最上川が滔々と流れる様をとらえた作品でした。北国の早春と言えば関東の人間から見ると緑はまだ弱々しく色は乏しい。そのあとエッセイを読むと、夏の緑が濃すぎる風景はつまらないとの記述を見つけました。例えば私が里山の風景を写真に撮るなら、やっぱり真夏よりは晴天の春や秋がいいなと思う。けれど、画家が繊細な色の風景を求めるとき、そこからもう半シーズンほどずれる初春や初冬を選ぶのかもしれない。そして、強い太陽の光は必ずしも必要ないのかも?読んでからもう一度展示作品をぐるりと見回すと、それが実感できた。

途中、出版物や習作の水彩画なども面白く見つつ、最後の展示室「白と黒の会」のコーナーへ。ここには向井と交流のあった世田谷在住の画家・彫刻家の作品が並んでいる。「白と黒の会」というのは、これらの芸術家のグループで、といっても画壇における派閥みたいなグループではなく、世田谷という地域でつながった飲み会グループなのだ。「白と黒」の由来は、飲み会の最初に10センチ角程度の白い紙が配られ、そこに黒いインクで各々が作品をしたためることに由来するそうで、その作品をメンバーの中の新聞社勤務の者が社に持ち帰ると挿絵として売れたのだそうだ。それが次回の飲み代になる、という永遠にタダ酒が飲める会、なのだそうです。ここの部屋は、向井作品を延々と見続けた最後に来ると、一服の清涼剤以上にエキサイティングな展示室で、気分が高揚したまま会場を後にできました。

ここからは余談。最後の展示室には向井潤吉の弟さんの向井良吉さんの彫刻作品があり、翌週、私が一緒に展示を見た子供たちは、この作品に興味を示していました。
世田美には常設に向井良吉さんの作品が2点あります。子供たちに「他のも見る?」と聞くと「見たい!」とうれしい反応。まずは地下の創作の広場で「花と女性」という作品を宝探ししながら見ると、子供が「楽しい~!」と盛り上がってくれておばちゃん大感激。(ちなみに地下には展示室はありませんが、エレベーター脇には柳原義達のかっこいい作品が、その先には谷内六郎のモザイクもあります。)そのあと外の彫刻作品を観に行くと、もしかすると子供って絵画より彫刻が好きなのかな?ほかの作品も抽象作品も含めてとても反応が良かった。

向井潤吉のことに戻ると、メモ魔だった向井潤吉は文才もありエッセイを多数残しているそうで、展示室にもかなりのボリュームでそれらが紹介されていたのですが、読み物として結構面白かった。で、それらのエッセイをまとめた書籍「草屋根と絵筆」が本展に合わせて発売されたそうです。ミュージアムショップにも売っていましたが、私はやっと世田谷区の図書館に入荷されたのを借りてきたところです。拾い読みになるかもしれないけれど、読むのが楽しみです。

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by fumiko212 | 2018-10-05 22:05 | アート | Trackback | Comments(0)

9月6館目:笠間日動美術館

水戸芸術館の次に向かったのが(市場食堂経由で)笠間日動美術館。日動というのはあの日動画廊の関係らしい。水戸に行くなら偕楽園も行きたいな~なんて思ってたけど、ご一緒したYさんがこの美術館に行ってみたいということで美術館のサイトを観たら、私が好んで見る近代洋画作品が常設であるそうで、行ってみたくなった!と言っても、企画展は興味ないし常設のフランス館だけ観れれば充分。などと思いながらゴー!水戸からはかなりと距離があって、車じゃなければ(自分なら車でもどうしようかな、、、と思う)ハシゴは厳しかった。社長、ありがとうございます。

チケット売り場の前にはヘンリー・ムーアのブロンズがあって、あ、彫刻もあるのかあと思いつつ企画展示館はパスして敷地の奥にあるフランス館へ向かいます。向かう先には野外彫刻庭園の表示。なんかこれもしかして期待できるんじゃないか?と、にわかにわくわくしだす私たち。戸外の渡廊下は青々とした楓に囲まれていて、紅葉の時期に来たら最高なのでは!(しかしこの時我々は藪蚊の襲来を受けていた、、、)
彫刻作品のラインナップはさすが日動画廊!なんだと思います。すごく充実。屋外庭園だけでなく、フランス館(テラスにも)、パレット館、企画展示館にも作品が点在し見ごたえがありました。パレット館に三宅一樹先生の木彫がありまして、今年になって世田美で知った作家さんなのですが、まだ作品を拝見したことがなく、思わぬところで作品を観られて感激でした。

フランス館は油彩画、デッサンの所蔵品の展示で、HPを見ると展示替えがあるようですが、私たちが行った日は印象派~戦後まで、充実のラインナップでした。それを私たちしかいない展示室で(蚊はいたけど)存分に鑑賞できるという夢のような空間でした。マティスが1枚もなかったのがちょっと残念(所蔵はしている模様)。思わぬ収穫はフランソワーズ・ジローの作品があったこと。この夏にジローがピカソのことを書いた本を読んでいたので、彼女の作品を観て見たかった。年代、どうだったかな、、、ピカソのそばでああいう作品を制作する度胸、、、すごいな。

先ほど書いたパレット館は、展示室の壁を埋め尽くす画家のパレットの展示がメインで、これが圧巻の面白さ。使っていた絵の具がそのまま固まったパレットの中心に小さな作品を描いたものなど、絵を描かない私でもその画家の作品を思い出しながらパレットを見るとなるほど~と思ったり、このパレットの持ち主はどういう絵を描くのだろう?と想像したり、永遠に楽しめそうな空間でした。クレーターのように淵にぐるりと固まった絵の具に囲まれたパレット、、、あれはどういうことなんだろうか?掃除しないで新たに絵の具を絞り出し続けてああなったんだろうけど、、、、掃除しちゃうと昨日からのつながりがわからなくなっちゃうから継ぎ足しながら使ってたのかなあ。

だんだん閉館時間が気になりだしたけど、渡廊下のカフェで一服して、駆け足で企画展示館へ。ここで面白かったのは「鴨居玲の部屋」という常設の展示。写真を見ると舞台役者のような濃い風貌をした男なのですが、「自画像の画家」と称された人物なのだとか。作品や遺品を展示したこの部屋の濃密な空気に画家の生々しい存在感を感じました。特に、死後アトリエに残されていたという鉛筆による習作の数々に惹かれました。画家はこうして絶えず手を動かしているのだろうな、、、
もう一つ良かったのが世界の子供たちの絵画作品の展示。偶然にも水戸芸術館では地元の小中学生の作品を観て感心したばかりだったけど、ここには恐ろしささえ感じる完成度の高い作品が並んでいました。南米、アジア、東欧など、私が頻繁に観る西ヨーロッパや日本の画家の絵画の展覧会ではなじみの薄い国の子供たちの作品にこそドキリとする作品があったりして、私が観ているアートはまだほんの一部なのだと実感させられた。

当初の予想を超えて閉館ぎりぎりまで楽しみつくして美術館を後にしました。決して広すぎないので、疲れないけど大充実の展示でした。また行きたい。

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by fumiko212 | 2018-10-05 21:20 | アート | Trackback | Comments(0)