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カテゴリ:アート( 183 )

高橋秀+藤田桜 素敵なふたり@世田谷美術館

世田谷美術館の企画展、ミュージアムコレクション展はこの1年全部見ていますが、中でも今回の展示はとても好みでした。

高橋秀さんは主に抽象表現の美術家、藤田桜さんは主に布貼り絵の作家で、お二人はご夫婦。高橋秀さんが1930年生まれで今年89歳、藤田さくらさんは(年齢のことを言われるのはお好きでないそうですが)秀さんの5歳年上、そしてお二人とも現役の作家さんとのこと。当初は世田谷にアトリエをお持ちだったそうですが、63年にイタリアに留学し、そのまま41年間イタリアに暮らし、帰国後は倉敷市の沙美海岸にアトリエを構えておられるそうです。

長く活躍されたお二人が、ご夫婦で二人展をされるのはこれが初めてとのこと。新作を含めた数多くの作品が展示されていました。

世田美の展示室には窓を大きくとった半円形の部屋があるのですが、絵画作品が展示される際は作品保護の為に外光が入らないように壁で閉じられてしまいます。ですが、今回は自然光が入るままの展示室に高橋秀さんの新作を含めた絵画作品がどーんと展示されています。この部屋だけでも一見の価値ありです。これが最初の展示室。
その次の部屋に入ると、まだ具象絵画も描いていた若き日の秀さんのかっこいい油彩画作品が並びます。そしてその先の広い展示室は、抽象表現に移行した秀さんの作品が壁面に、そして中央のショーケースには藤田桜さんによる絵本の原画が並びます。
布の色や柄、質感の特徴を組み合わせ、ハッとするような美しい情景を生み出す桜さんの布貼り絵の世界に絡め取られるようにショーケースの前から動けなくなります。原画には、絵本の文章も添えてあるので、絵本を原画で丸々1冊読みながら展示を見ていけます。そうした子供のための作品を何冊分も鑑賞した後に、絵本用としてではない額装された布貼り絵の展示が表れたとき、これは「桜さんが自分の為に描いた絵」だ。という、絵本を作りながらため込んでいったエネルギーの放出が感じられ、そこでまた新たな感動を覚えます。そしてその小さな額の中の布の表現が、奥の展示室にある秀さんの大型の抽象画と呼応しているように感じました。解説文には、お互いの作品作りには関知しないと書いてあったと思うのですが、やはり影響を与え合っているように感じました。

展示の準備やオープニングレセプションのために上京されたお二人に実際にお会いになった方たちは、口々に「本当に素敵なふたりでした。」とおっしゃっていました。7月28日にNHK、Eテレの日曜美術館で特集されるそうなので、世田美は遠い、、、という方はぜひテレビをチェックしてみてください。

by fumiko212 | 2019-07-16 00:13 | アート | Trackback | Comments(0)

ギュスターヴ・モロー展

今年前半で楽しみだった展覧会の1つ、ギュスターヴ・モロー展にやっと行ってきた。このためにぐるっとパスを買ったのに行きそこないそうでヒヤヒヤしました。
ギュスターヴ・モローの名前を最初に知ったのは、アートのことは何も知らなかった(今も知らないけど)頃、初めてパリに行ったときに買った地球の歩き方でした。ギュスターヴ・モロー美術館が「出現」の小さな図版とともに掲載されていました。
時が過ぎること四半世紀。やっとその「出現」を見られた。数センチ角の図版でしか見たことがなかった作品が目の前にある。なかなか感慨深い体験だった。図版ではわからなかった浮いたヨハネの首の下の床にたまった赤々とした血だまり、後年書き足されたという細い線で描かれた室内の装飾、が印象に残った。現代のクリエイターにも影響を与えていそうな雰囲気。

モローと言えば、私にとってはルオーやマティス、マルケが通った画塾の先生としての方が名前を観る機会が多かった画家。モロー美術館の初代館長は確かルオーだったんじゃなかったかな?(うろ覚え)弟子たちの画風はみんなバラバラで、そして誰も先生と似てないように見えてた。でも、画家としての生き様にはモロー遺伝子が宿っていたんだ。自分の信じる表現を恐れずに提示し、生涯やりきったってところが。「出現」に後年線を書き足したのは、もしかしたら弟子たちの作品からのインスピレーションだったのかも?きっと素敵な先生だったに違いない。ルオーとマティスの書簡集を読んだときも、確か先生の話が出てきた記憶があって、二人が晩年までモローを敬愛していたことが感じられた。

「出現」は見られたとはいえ、正直全然物足りない。モロー美術館に行きたくなる展覧会でした。

by fumiko212 | 2019-06-21 23:33 | アート | Trackback | Comments(0)

クリムト展とウィーンモダン展、ヴェーベルン

もう2年前になる2017年の年末頃から、マティスやピカソに関する本を半年ばかりかけて何冊か読んで、1900年初頭~第二次世界大戦頃のフランスのアートの世界を垣間見ていた。それを何となく頭の隅に思い起こしながら、この2つの展覧会を見ていると、パリとウィーンの距離とか情報の伝わり方とか受け入れるウィーン側の文化とか気質とか(自分なりの勝手な解釈ではあるけれど)を感じた。
クリムトは早くにウィーンで一度成功してから分離派を結成。しかしウィーンを離れることはなく同じ場所で創作を続けたのはどうしてなんだろう?たとえ本流から外れても、パリに出ずとも生計を立てられるだけの受け入れる側の土壌がウィーンには豊かにあったから、なんだろう。でも、もしパリに行っていたらどんな作品を描いたんだろう?と、もしも説を妄想してしまう。それくらい、ウィーンにいたからこそ、を感じさせる画家なんだと思う。
ウィーン・モダン展には画家と音楽家の交流を感じさせる展示があって、今よりももっとジャンルの垣根を越えて芸術家が刺激しあっていた時代の空気が感じられた。今の時代の方がコミュニケーションの方法は増えているはずなのに、むしろすごくせせこましくなってしまっている気がする。

この2つの展覧会を見た後に、小澤洋介さんのチェロ・リサイタルを聞きに行ったところ、プログラムにクリムトと同時代のウィーンの作曲家ヴェーベルンの「3つの小品 作品11」という楽曲があった。わずか9小節、13小節、10小節の3つの曲からなり、音楽分野における前衛芸術に他ならない様相を呈していて、その研ぎ澄まされた作品が生まれた背景に2つの展覧会で見たあの時代があったことが立体的に実感できた。そして2つの展覧会で見た作品が、素晴らしくはあるけれどそれは過去の優れた芸術の痕跡として感じられたのに対し、音楽ではその新鮮味が失われていないことに驚いた。やはり生身の人間がそこで表現しているからなのか?音楽という芸術の底力を見た気がした。

by fumiko212 | 2019-06-21 21:26 | アート | Trackback | Comments(0)

今年に入ってからこれまでに見た展覧会など

令和初です。
今年に入って、行きたい展覧会のことを2度も書いて置きながら、そこに書いた展覧会に1つも行けていないことに気づきました。ひどすぎる…
それでも4月の終わりにぐるっとパスを買ったので、ぼちぼち見始めています。

今のところよかったのは、庭園美術館のキスリング展。個展技法のような肌の表現で描かれたヌードや、セザンヌの影響を強く感じる静物、キュビズムになりそうでならない表現、いろんな影響がミックスされて、誰とも似ていないキスリングの作品になっていることが感じられました。キスリングと言えばモンパルナスと思っていたのですが、南仏にアトリエを構えていた時期もあるそうで、第二次世界大戦中、亡命先のニューヨークで描かれたというミモザの絵にはジーンとさせられた。南仏、また行きたい。

都美のクリムトと新美のウィーン・モダンはまだ見てないけど、目黒区美術館のウィーンのグラフィック展は見ました。前にニューヨークのノイエギャラリーで同様の展示を見た記憶がよみがえってきた。資料はその時よりもずっと多くて見ごたえがありました。クリムトの素描(壁画の習作など)が多数出ていて、それがとても興味深かったです。何度も繰り返される手のクロッキーや、モデルを足元から見上げて描いた人体など、それらがすべて完成した壁画(写真展示)にちゃんと落とし込まれていて、画家の仕事の痕跡が見られたのが面白かった。

ぐるっとパスを買う前に行った展覧会で良かったのは、川村記念美術館のコーネル展。コーネルと言えば箱ですが、今回は平面のコラージュが沢山出ていて、それが面白かった。あの箱は唐突に思いついたのではなく、平面コラージュから移行していった表現だったのだなあ。以前は標本箱のように見えていた箱が、平面から立体に移行したコラージュ作品=箱の中だけで完結しないで、外側も含めた箱全体が1つの作品、という見え方に変わった気がする。それにしても、コラージュってシュルレアリズムをやるのに適した媒体ですよね~。考え付いた人は誰なんだろう?

4月には群馬県桐生市の大川美術館にも行ってきました。行きたい展示だった「読書の時間」ではなく、その次の「子供の時間」という展示を見られました。松本俊介が幼少の息子のお絵かきを模写した作品がいくつか展示されていました。この美術館、他の展示もなかなか良かったです。

下書きに埋もれててアップし忘れてました。その後、クリムト展も見たけれど別でアップしたいと思ってます。

by fumiko212 | 2019-05-16 22:43 | アート | Trackback | Comments(0)

3月に見たい展覧会

もう3月ですが、去年、あんなに頑張ったアート鑑賞&ブログアップ、ぱったり止まってしまいました。目標を立てなければ私のアート熱もブログアップ意欲もこんなものなんだなあ。
元々、1~3月は年度終わりだからなのか、あまり派手な展覧会がないなあと思っていたのですよ。でも、気づけば行ってみたい展覧会が次々と閉幕してしまいそうです。

庭園美術館の岡上淑子コラージュ展。全く知らない方でしたが、何かで、瀧口修造が創作を続けることを勧めた、と読んだので見ておかなくちゃと思ってます。一昨日の日曜美術館で取り上げていて思い出した。4月7日までなのでこれは忘れなければ行けそう。

大川美術館の松本俊介の展示。去年から3部に分けて展覧会をやっていて、偶然、現在の展示のチラシをもらって、メインビジュアルも良かったし、裏面にいくつか出ていた素描も良かった。24日で終わるけどさすがに桐生には行けないかな。アーツ前橋のアジアの版画も見てみたいのだけれど。そしたら文学館も行きたい。

版画と言えば、一昨日の日曜美術館で知った情報ですが、夏に小原古邨を見た茅ヶ崎美術館で、日本の創作版画展をやっていると知りました。それ以前の日本の版画は、絵師・彫り師・摺り師の分業制だったのが、作家が下絵から摺りまでを行う創作版画を始めたころの作品が展示されているようです。12月に横浜美術館で見た駒井哲郎展で名前を知った恩地孝四郎の作品があるそうだし、ぜひ見てみたい。しかしこれも遠いな~。

日曜美術館で見たものばかり書きますが、畠山記念館でやっている琳派展も見たかったことを番組を見て思い出した。ずいぶん長いことやっているから油断していたけどもうすぐ終わる。割引券を新聞から切り抜いたけどあれどこ行ったかな?以前、どこかの琳派展で見た宗達の鶴と光悦の書が合わさった巻物がとても素敵だったのだけれど、このタッグによる別の作品が展示されていることを知って、これも見ておかなければ、と思いを新たにしたところです。もしかして今週末までだったかも?急げ~。

そしてもう一つみたいのが文化村のプーさん展。ディズニーのプーさんには興味がないけど、チラシに乗っていた原画が鉛筆画に見えて、鉛筆の線で描かれたプーさんをぜひ見てみたいと思っています。ペンなのかな?それでも見たい。

線と言えば、森美術館の北斎も見たかったんだ。先日、現代の若い摺り師の方の実演を見る機会があって、「神奈川沖浪裏」が刷り上げられていくのを目の当たりにしました。職人さんに、摺っていてさすが北斎と感じる事はありますか?と伺ったところ、広重など他の絵師の作品と比べると、北斎の線は非常に繊細で、神経を使うとのことでした。それを聞いてからそこに展示されていた北斎の作品を観ると、確かに一緒に展示してあった現代の作家の線と比べると北斎の線の洗練が際立っていることがわかりました。肉筆も多数展示されているであろう北斎展、観たかった。もう終わっちゃったのかな?

これだけ書き出したけど、観られるのは1つか2つくらいかな。会期中いつでも行けると思うと行けないものですね。

by fumiko212 | 2019-03-05 22:56 | アート | Trackback | Comments(0)

文学館が熱い!

かつての私は、文学館とは、黄ばんだ作家の自筆原稿や書簡がバサッと展示してある場所、くらいにしか思っていなかった。確か学生時代に、鎌倉の文学館や金沢の文学館に言った記憶があるけれど、文学と親しんでいなかったアホアホ学生だった私には、何を楽しんでよいのかよくわからず、、、
今でも文学と親しめていないのは同じなのですが、世田谷区に関して言えば、もう美術館よりも文学館の方がラディカルでエキサイティング!とカタカナでいろいろ書きたくなる場所になっている気がしました。美術館にもっと頑張ってほしいという願いを込めて書きます。

世田文と言えば、ムットーニを10点収蔵しており、内7点が常設展示されているという奇跡のような場所で、それだけで私にとっては特別な場所なんですが、それ以外はあまり気に留めていなかった。でも、今やっている企画展「ヒグチユウコ展」を見て、これからは企画展をもっとチェックしなければ!という気持ちになりました。
まず、展示にめちゃめちゃ工夫が凝らされていて、会場に足を踏み入れた瞬間からワクワクが止まらない。展示室の壁は真っ赤に塗られ、中央の空間には大きなテントが。その展示室には小さなトンネルがあって、子供はそこから出入りできる。トンネルの上には展示ケースが仕込まれてるのに!作家さんご本人が展示するからこその遊びがいっぱい詰まっていて、自由度が高い。作品は横1列に並ぶのではなく壁一面にぎっしりとかけられ、1900年代初頭の芸術家のパトロンたるブルジョワ達の邸宅の写真を思い出す。好きなものを好きなだけ飾りました!という出し惜しみ感がない迫力。入口には大量に拡大鏡が用意され、思う存分作品を鑑賞できた。物販やガチャコーナー、入口からトイレまでヒグチさんのビジュアルで溢れ、館内全部で展覧会のタイトルである「サーカス」を表現していた。もう大感激。またみたい。

世田文がもう一つ素晴らしいのはライブラリー。これも世田美より全然いいんだよ~。これ出しといていいの?という豪華装丁本やいかにも貴重そうな古い版の書籍が開架。ブルータスのバックナンバーなんかもあり、30~40年分ずらりと開架。(ちゃんとチェックしてないけど80年代のもあったので。)ゆかりの著名人の選ぶ3冊が紹介文ともに展示されており、手に取って読むことが出来る。今回、ムットーニが選ぶ3冊がやっと展示されており、すかさずチェックしてきました。奥には子供用のお話しコーナーがあり定期的にお話会が開かれている模様。などなど、そんなに広くはないのに大充実。ここに毎日入り浸りたい。

更に私が素敵だなって思っているのは、喫茶店「どんぐり」。ここは障害のある方たちがお仕事をされているお店なのです。ケチなのでミュージアムカフェなどにはほとんど行かない私ですが、世田文に行って、お昼時がかぶるときは必ず利用します。コーヒーを頼むと、ソーサーにコーヒーがビシャビシャこぼれていることもあるけど、そんなことはご愛嬌。ここに入るとなんだか優しい気持ちになれるのです。

もう一つ自慢したいのは(なぜ私が自慢するんだ?)ツイッターのアイコンや買い物すると入れてくれる袋に印刷されている世田文のキャラクターで、荒井良二さん作なのですよ。世田美のルソー袋も良いけど、やっぱり負けてる気がする。で、そのツイッターの中の人も頑張ってて、こまめに見に来た人のツイートをリツイしたりしてるし、ムットーニ展の前はグッズや準備中のムットーニさんのアトリエの様子やムットーニ家のニャンコの写真までアップしてくれててめちゃ楽しめたんだよな~。などなど、好感が持てる頑張りが見えるのです。世田美のツイッターは…。やっぱりもっとがんばってほしい~。

さて、世田文について熱く語りましたが、タイトルに「文学館が熱い」と書いたのは、その他の文学館についても熱さを感じているからなんです。ムットーニを見るために行った前橋文学館。ここは地元出身の萩原朔太郎記念館を有し、現館長さんは朔太郎の孫であり、多摩美の名物教授だったという萩原朔美さん。公式ツイッターはないとしながらも前橋ネコさんなる副館長?のアカウントがあり、これまたフォローし甲斐がある充実のツイート&リツイを繰り広げています。昨年末の企画展は「この二人はあやしい」と題し、朔太郎と芥川龍之介が同じもの・ことについて書いた言葉を併記して展示する、というアイデア勝負のような展示がすごく面白かった。
そして、今年秋にムットーニ展があるからフォローし始めた、山口県の中原中也記念館では、開館25周年の記念事業の一つとして公式キャラ「中也くん」のLINEスタンプを発売するのだとか。
なんだか方々の文学館(私がフォローしているのはムットーニを扱おうという気概がある文学館なのですが)が知恵を絞り、魅力的な発信をしている印象があります。
ということで、今年は文学館をちょっと気にしてみようかと思います。世田美も頑張ってほしいし応援続けますが!

by fumiko212 | 2019-02-08 23:30 | アート | Trackback | Comments(0)

今年行きたい美術展・美術館

明けましておめでとうございます!年女です。12年前はマラソン走ってて香港に行ったことは覚えてる。今はどっちも遠い存在。。。

今年も引き続きアート鑑賞は頑張りたい。年末に「美術展 2019」でググってどんな企画展があるのか見てみた。で、楽しみなのはパナソニック美術館の「モロー展」、都美、新美で1日違いで始まるクリムト関連、新美の「ボルタンスキー展」。まだ細かな美術館の展覧会スケジュールは調べられていないので、きっともっといろいろあるのだろうな。楽しみです。

国外では、今年の秋のパリの企画展が自分の好みや見てみたいものが揃っていて行きたくなってます。オルセーでドガ展、グラン・パレでロートレック展、オランジュリーでフェリックス・フェネオン展、ルーブルでダ・ヴィンチ展、グラン・パレでエル・グレコ展、そしてポンピドゥではボルタンスキー展(日本と同じ?)。大体が9~11月に始まって年明けに終わるので、12月に行けたら全部見られるのかな?等と妄想してます。しかし、強烈に観たいのがあるかと自問自答すると、それほどでもないのかなあ、、、数年前のルソー展とか、ルイ・ヴィトンの美術館でやってたシチューキン展みたく熱烈に見たいのが1つでもあればなあ。
で、どちらかというと今年実現しそうな気がしてるのがアムステルダムですよ!アムステルダムと言えばゴッホ美術館が一番楽しみだったけど、ルーベンス展がすごくよかったので、アムステルダム美術館だっけ?も前より見たくなってます。

遠征で確実に行きたいのは、山口県の中原中也記念館で開催されるムットーニさんの個展。ムットーニ好きでありながら、今までムットーニで遠征したことはなかったのです。それが、先日の前橋文学館の講演会がとても面白くて、きっと中原中也記念館でもそういう企画があると信じて、ぜひとも行けたらいいなと思っています。楽しみだな~。

秋のムットーニ展に思いをはせると、なんだか今年ももうすぐ終わるような気分になってしまう。早く秋にならないかなあ。

by fumiko212 | 2019-01-03 01:13 | アート | Trackback | Comments(0)

好きなものに帰る

ムットーニさんが萩原朔太郎の「殺人事件」を題材に選ぶ過程で、最初は別の詩が候補に挙がったのだそうです。作品のストーリーをイメージできそうなもの、という観点で選んだそうなのですが、所蔵作品にするには少し弱いと感じたムットーニさんは、やっぱり好きなものにしよう、と高校時代に読んだ「殺人事件」をモチーフに選んだそうです。今回作品にならなかった2つの作品も私としては見て見たかったのだけれど、制作に数か月(3か月だったか5か月だったか、、、)費やすのであれば、やはり作りやすそうな題材ではなく、好きな詩から出発したほうが絶対に良いというのは素人の私でもわかる。

1月から始めたチェロの個人レッスン。長年グループレッスンを受けていたので、そもそも自宅以外で一人で音を出したことがなかった。一度、グループレッスンで私以外が全員お休み予定になったことがあり、次のレッスンまでめちゃめちゃ気が重かった。当日になったらみんなの予定が変更になっていてホッとしたことがあったくらい、先生の前で一人で音を出すのが恐怖でした。それが、好きな曲を習うには個人レッスンを受けるしかないと思ったらその壁を乗り越えられた。そしたらグループレッスンでも周りに埋もれるような音を出していたのが、積極的に音を出せるようになった気がする。そのきっかけは「好きな曲を弾いてみたい」だった。

なんでこんな厄介なモチーフを選んだ?という創作は気づけば苦しくも楽しく没頭でき、これなら時間内に何とかできるのでは?と選んだものは、結局何をしていいかわからなくなって中途半端で終わったり、も経験した。好きなものだったら四六時中考えられたり、根気強く向き合えたり、アイデアや工夫が生まれたり、そして対象に気持ちが入る。こうしたいっていう思いも生まれる。

好きという気持ちを大切に。これもとっても大事なことだって気づいた1年だった。

by fumiko212 | 2018-12-29 22:13 | アート | Trackback | Comments(0)

絵画を読む、詩を読む

料理は科学だ、ということがありますが、アートも科学、銅版画なんて化学だよな~と思う今日この頃。という話をしていたら、「芸術家は詩人の心を持った科学者」という名言を聞いた。誰が言ったの?と聞いたら自分だと。酔っ払っていたのもあり、そこにいた皆がそーだそーだ!と盛り上がりました。アーティストは右脳派かというと、それだけじゃだめで、右脳と左脳、両方を自然と切り替えながら作品を作れる人がすぐれたアーティストだよね、とそこにいたみんなが納得。

先日、大原美術館で、美術館スタッフさんがリーダーとなり、グループで語り合いながら作品を観る、という素晴らしいツアーに参加しました。30分のツアーで3作品をじっくりと、その時の参加者は5人で回りました。中のおひとりの方が、原田マハさんの「楽園のカンヴァス」を読んだばかりで、本を持っていらしていました。5人の内3人はこの本の読者で、織江さん(主人公で大原美術館の監視員という設定。担当のガイドさんがイメージぴったりの美人だった)と回れる~と最初からウキウキでスタートしたツアーでした。

せっかくだから本に出てくる作品を、と最初に見たのがシャヴァンヌの「幻想」という作品。ガイドさんは最初に「何が描いてありますか?」と問いかけます。一人1つずつ答えるのですが、一人目が「ペガサス」というと「どうしてペガサスだと思ったの?」と問いかけられます。「羽が生えた白馬だからペガサスだと思った」と答える。次の人が「天使」と答えると、再び「どうしてそう思ったのですか?」と続く。私が聴かれたとき、「「天使」でなくて少年だと思ってました。」と答えると「どうしてそう思ったか?」。私は「単純に小さく描かれているから少年かと?」とダサダサな答え。次に「女性」と答えたけれど、別の人が「もしかしてこれは人でなくて彫刻?」理由を問われると「動いていないように見える」。「もう少しよく見ていきましょうか。女性の手に何か持っている物が見えませんか?」と問いかけられると、蔦を振り上げてペガサスの首に巻きつけていることに気づく。みんなで「わ~全然気づいていなかった!」と発見する。そうすると途端にこの絵が動きのあるものに見えてくる。次に遠景。「森」「岩山」と答えていくと、別の人が「城壁に見える」などとここでもいろんな答えが出てくる。「手前は室内のようなのに奥は自然が広がっている不思議な印象が出てきた。」と私。1枚目で参加者がそれぞれ発見と感動を体験した。
次に向かったのが2階のピカソの「鳥籠」。これも最初は「何が描かれているか?」の問いかけから。「鳥籠」と答えると「なぜそう思ったか?」と聞かれます。「タイトルが鳥籠だから」。「テーブルクロス」「なぜそう思ったか?じゃあその下はテーブルだと思ったのですね?」と問いかけが続きます。次に鳥籠の中の鳥について。「どこに止まっている?」と問いかけられ、よーく見ると「鳥籠の壁面につかまっている!」と気づく。さらに羽を広げ、くちばしも開いている。「うるさくさえずっている?」「バタバタ羽ばたいている?」とみんなの見解を出し合う。どうしてバタバタ羽ばたいているのか?との問いに「ここから出して欲しい」「自由になりたい」「ピカソは独占欲が強かったから閉じ込めておきたい象徴」。私は「知らない人が部屋に入ってきて警戒してバタバタ暴れている」と感じた。子供の頃飼っていた文鳥が、すごくビビリでそんなことがよくあったのを思い出した。ここまででも十分に発見があったけれど、ガイドさんは「せっかくのピカソなので、もう少し見ていきましょう。」と背景について問いかける。「窓際で窓の外は曇天」「私は晴天に見えてた」と意見が出る。「女性の頭部の彫刻に白い部分と黒い部分があるけれど、これは光と影?」と気づく。私にとってこの瞬間が発見と感動!でした。ピカソはやっぱりとことん具象の画家だったのだ、と思った。聞いてみればよかったな~。ここまで見てもまだもう少し、と次はこの部屋には誰がいるか?私が思ったのは、「最初ピカソは一人で没頭して仕事をしていた。そこに誰かが入ってきた。そして鳥が暴れ出す。ピカソの集中もそこで乱されてしまった。」という場面。「ピカソ自身が囚われている感覚を持っていた」という意見も出たりしたかな。1枚の絵を見ても受け取るストーリーは人それぞれ。本当に面白い。適当に思いついたことに、なぜ?と問いかけられることで、さらにじっくり考えたり見たりするようになる。他の人の意見で自分の感じ方が変わったり、気づいたり。どちらの作品も午前中に1度、しかもピカソは「ピカソか~」とそれなりにじっくり見たつもりだったけど、何一つ気づいていなかった。
最後に、「抽象絵画も1枚見てみましょう」と抽象絵画が並ぶ場所へ。みんな一斉に「ここは飛ばしてた~。」「無理~。」と声が上がる。アレシンスキー「夜」を見ていく。最初に「好き?嫌い?」との問いかけに、「嫌いかな、、、」と答えた方に「なぜ?」「暗いから」。すると「暗いと思いますか?」と問われ「タイトルが夜だから暗いのかなあ」と私。「でもよく見て」と促されると、赤や緑を発見する。「文字みたいに見える」「テキスタイルみたい」などの意見が出ると、少し離れてみるように促される。「先ほどは文字とかテキスタイルと平面的な印象を持たれていましたけれど、ここから見るとどうですか?」と問われると、なるほど「夜の街を俯瞰で見ている?」という気がしてくる。最初はみんなが無理~と思った作品だったのにいろんな風に見えてきた。
ここでツアーはお開き。でもせっかくだから、隣にあった抽象絵画の「メキシコ」をもう一度見てみた。一人で見たときは、メキシコの町を上から見たイメージ?カラフルなメキシコの衣装?などと考えていたけれど、少し離れたら、それが激しく跳躍し踊る人物に見えた!感動~。こんな見方を全部の作品でやっていたら1つの展覧会を何時間かけても見終わらないけれど、2~3枚だけでもこうやって見るようにしたら面白いだろうな~と、これからの美術鑑賞に新たな楽しさが加わった。自分が始めた子供との美術鑑賞の活動にもすぐさま活かせる体験だった。

この後、美術館を去りがたく、もう一度「受胎告知」の前に行くと、先ほどのツアーでご一緒した方たちと再会し、感想を語りあったり、インスタをフォローしあったりと交流まで生まれてしまった。なんて意義深いツアーだったんだろう、、、と大原美術館と私たちの織江さんに感謝。

長くなりますが、話は続きます。
先日のムットーニさんの講演の話。ムットーニさんが前橋文学館に依頼された萩原朔太郎の詩「殺人事件」を題材に収蔵作品を完成させるまでのお話でした。講演会の2日前に、東京のギャラリーで新作の展示があったのでムットーニさんとお会いできたのですが、前橋に行くことをお伝えすると、「先に殺人事件を読んでおくと面白いよ。」とのことでした。ネットで見つけられたので自分なりにじっくりとこの詩を読んでみました。詩を読む習慣がないのでなかなかに難しいのですが、何度も読んでいくとイメージできる部分が増えてくる。私がたどり着いた結論は、恋人を殺したのは「私の探偵」だったのでは?つまり「曲者」は私自身だったのでは?そこで、帰宅後に手元の文庫本でこの詩を読むと、「私の探偵」に注釈がある。読んでみると「私の探偵=曲者」とする解釈もあるとのこと。これはかなり嬉しかった。そしてムットーニさんの作品を観ると、なんと「私の探偵=曲者」で表現されている!
講演でムットーニさんがこの解釈に至った説明があり、そしてこの大発見を世田谷文学館の学芸員さんに披露されたところ「それは定説ですね~。ムットーニさん凄いですね。」と軽ーく言われてしまったのだそうです。そうなのか~。
ムットーニさんの解釈はさらに続き、作品の特性上、一度展開した物語を元に戻さないといけないために、スタートを詩の冒頭とせず、最後に詩の冒頭に戻る、物語をループさせることで曲者=私の探偵は永遠のこの殺人から逃れられないという解釈を得る。ではだれが曲者を突き止めたのか?それは殺された女であるはず。。。
こうして詩を深く深く読むことであの作品世界が形づけられていくのか、、、

詩につづられた言葉をとことん読み込み、そこから感じる感覚、冷たさ、透明感、色、光、時間、物語をどう解釈し、ご自身の作品の中で表現できるか、表現するか、の試行錯誤についてのお話はそのどの部分をとっても発見と感動の連続であることがわかる。あのピカソの絵を何度も見返して、だんだんと深く作品に入っていく作業と通じるものがあるように感じた。そうなると、今まで読んだ詩も何度でも楽しめるのだろう。

一枚の絵、一枚の詩、優れた作品が永遠に色あせないのは、そうやって一人一人が何度でも深く読めるものだからなのかもしれない。

by fumiko212 | 2018-12-29 03:02 | アート | Trackback | Comments(0)

作業になっていないか?

先日、瀧口修造が何度も出てきた話を書きましたが、今回は「作業になってないか?」という言葉が続けて出てきた話。

全て表現についての話で、同じ意味で出てきました。

最初は、デッサンについて。黒い部分をどう描くか。黒く「塗る」のはダメ、あくまでも「描く」。「塗る」のはただ鉛筆を動かす「作業」になってしまう。それは見て描いていることにならない。

次は、先日の前橋文学館まで聴きに行ったムットーニさんの講演で。ムットーニさんの作品は、板にヤスリをかけたり、ひたすらハンダ付けしたり、の作業が山ほどあるのだけれど、作業に没頭してしまうと自分が何をやっているのかわからなくなる瞬間があるのだそうです。そこでそのまま作業に没頭せず、第一印象に立ち戻るようにしている、とお話しされていました。

そして、最後はチェロのレッスンで。リズムが上手くとれず、自分はリズム音痴なんじゃないかとよく思うと質問したところ、先生から「常に拍を意識すると良い。」とアドバイスを頂きました。但し、先生はメトロノームを使うのは好きじゃないと。「メトロノームでずっとやっていると、作業になっちゃうんだよね。」とおっしゃったのです。メトロノームは最後の仕上げで確認で使うのは良いけど、最初からずっとメトロノームはお勧めしないとのことでした。

ここまで来ると、本気でピンときます。表現において、作業に埋没するのは最も危険なことなのだと。

そういえば、作業になってるなって思ったことがずっと前にあったことを思い出しました。ピョンチャンオリンピックの時のフィギュアスケート坂本選手。確かショートの方だったかな?最初のジャンプを失敗して、後半のジャンプの構成を変更して乗り切った演技だったのですが、私にはあの演技はまさに「作業」に見えたんだよな~。そういうことだったのか。

表現というと芸術的な事ばかりを連想するけれど、生活のいろんな場面でも「作業」にしてしまうといい結果が出ないものってありそうな気がする。この言葉、覚えておこう。

by fumiko212 | 2018-12-27 22:36 | アート | Trackback | Comments(0)