8月3館目:ムットーニコレクション/世田谷文学館

4月から新しくなった常設のムットーニコーナーを見に世田谷文学館に行ってきました。実は、世田文にムットーニ展でないときに行くのは初めてでして、今まで、常設のムットーニを見たことはなかったのだ。
企画展ビーマイベイビーに興味がないわけではないのですが、何しろ展示を見るのに時間がかかるので、今回は常設だけ。

常設のムットーニコーナーは1階です。せたがやアーツカード割引で団体料金160円也を支払い入場。申し訳ないほどの格安料金です。
上演は毎時30分ごとに展示中の7作品を2つに分けて行っていました。すべて見るには最低でも約1時間半の滞在が必要です。ムットーニコーナーの奥では斎藤茂吉、北杜夫に関する資料の展示(コレクション展)があり、こちらも30分では見きれないほどの充実した展示ですので、時間を持て余すことはありません。

新しいムットーニコーナーには昨年の個展から、題のない歌、蜘蛛の糸、アトラスの回想、の3作品が加わりました。この3作品については、白い壁に作品のモデルとなった文学作品の抜粋(題のない歌は全文)が大きく書かれていて、上演時間外に読みながら眠る舞台を鑑賞するのも一興かと思います。特に題のない歌はバーの内装などの細かい造形を動いてないときこそじっくり見られるので必見です。個展のときには気づかなかった、カウンターの奥の電話機の存在に気づきました。電話の手前に電話代を置く銅の小皿があることに気づき、これは一体いつの時代の設定なのか?と新たな想像を掻き立てられます。バーの壁にかけられた絵画も気になり目を凝らしたのですが、左側の2枚はムットーニの作品のミニチュア?のようにも見えたのですが、右側はよく見えず、単眼鏡持参で再訪しなくてはと思ってます。作家自身の作品がかかる狭い部屋はゴッホの寝室を連想させ(部屋の作りが台形であることも寝室の不定形な部屋の形と通じるものがある)、カウンターの奥の酒瓶がぎっしり並んだ棚のイメージからは同じくゴッホの夜のカフェを連想しました。ゴッホとムットーニがイメージでつながることがあるとは思ってなかった。

書きかけの歌(スビリット・オブ・ソング)以外はムットーニの語りが流れます。蜘蛛の糸は上演会で見られたことがなかったので、語り付きで見るのは初めてでした。北杜夫に関する展示コーナーで三島の自筆原稿を見た直後だったからか、三島の存在をジトッと感じる鑑賞となりました。

既存の4作品は、スビリット・オブ・ソング、眠り、漂流者、アローン・ランデブー、の順に上演されます。前回個展で1度しか見られなかった、眠りをじっくり見られたのがよかった。あれは他のどれとも似ていない狂気を感じる作品です。それから展示室の壁が白なので、アローンランデブーの背面ライトがいつも以上に美しく感じたな。

現在、猫町、山月記、月世界探検記はメンテナンス中とのことで展示されていません。今後はコレクション展の展示替えに合わせてムットーニコーナーも作品を入れ替えながら展示替えを行うとのこと。ちなみに現在のコレクション展は9月17日までです。企画展のないタイミングでムットーニコーナーだけを見られたらもしかして独り占め鑑賞ができるのでは?と夢想したのですが、企画展と同日に閉会するので、次の企画展が始まるまでに見られるのかは謎です。聞いてくればよかった。新しくできたというムットーニコーナー専用のパンフレットもゲットできました。

帰りがけにライブラリーものぞいたところ、今まで気づいていなかったムットーニ書籍が数冊まとめて開架しており、幻と思っていた不思議人形館もありました。パラパラとめくると古い時代の知らない作品が細かく掲載されており、これはぜひともじっくり読みたいと静かに興奮。以前からネットで検索していたのですが確か在庫がいつもなかったと記憶。また時間をとってここに来て読もうと思いながらも帰宅後に検索したらAmazonで中古価格でいっぱい出てる!しかも状態非常に良いがある!ということでやっと買えた〜。諦めずにしつこく検索すればいつかは買えるものなのですね〜。嬉しい。

収穫はそれだけじゃなく、文学館のコレクション展が期待以上に面白かったことも新発見だった。世田美もですが、土地柄、世田谷ゆかりの作家の遺族からの寄贈という形で充実したコレクションを有していることが伝わる展示で、これからは展示替えごとにムットーニ詣でとともに鑑賞したいと思いました。

9月は美術館行けるかな…。久々にチェロの発表会を控えており、後半は企画展の端境期にもなりますから、行くなら前半勝負。ぐるっとパスを買おうか悩み中です。もしお休みしたら8月に読んだ美術関連本の感想でも書こうかな。

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# by fumiko212 | 2018-09-03 02:45 | アート | Trackback | Comments(0)

8月2館目:巨匠たちのクレパス画展/東郷清児記念美術館

タイトルの美術館名、省略してます。
クレパスといえば、小学校に入学するとき、クレヨンとクレパス、両方を買わされた(小1で買わされたもないけど)記憶があります。どちらもベタベタした画材という印象しかなく、どういう使い分けをしていたのか全く覚えていません。6月に行ったチームラボボーダレスにクレヨンの塗り絵コーナーがあって、それにめちゃハマったのもあり、このクレパス展に興味を持ちました。ちなみにクレパスというのはサクラクレパス社の製品の商品名で、一般名だとオイルパステルというのだそうです。解説によるとパステルとクレヨンの良さを併せ持つ画材で、パステルよりも退色しにくく、油絵具と同じように混色が出来たり可塑性を活かした表現(ひっかいたり盛り上げたり)もできるので、戦後、油絵具を入手しづらかった時代にプロの画家たちも使っていたのだそうです。その画家たちの言葉も紹介されていて「子供用の画材にしておくのはもったいない」と評価されていたそう。

そのような前情報を得てますます興味が湧いて行ってきました。最初の1枚から、これがあのクレパスで描いた絵なのか!という驚きのクオリティの作品が並んでおり、油絵具での表現方法が無限にあるように、クレパス画も画家によって表現方法は無限にあることを知りました。風景画の空・山・海・岩の描き分けや裸婦の肌の質感など写実表現はもとより、抽象表現による人物や静物画でも油絵のような、というよりはクレパスだからこそという表現を観られたように思いました。デッサンと彩色が同時に表現できるからなのかなあ。ひっかいて地の色を見せる方法だと版画のように見える作品もあった。
一番気に入ったのは猪熊弦一郎の「二人のこども」という作品。二人のこどもの顔つきや正面を向いて2人が並んで立つ姿はほのぼのとして親しみが持てるのに、黒を基調にした線と面で構成された画面には緊張感もあり、心に残りました。他にも作品リストに丸を付けたんだけど、見に行ったのがちょっと前なので忘れてしまった。それというのも、展覧会を観た後に久しぶりに常設のゴッホのひまわりを見て、ちょうどアルル時代のゴッホに関する本(「ゴッホの耳」というのですごく面白かった)を読んだばかりだったのもありその印象が強烈過ぎたのと、美術館の1階ロビーにクレパス塗り絵コーナーがあり、またもや塗り絵に没頭しすぎたのが原因。ゴッホのひまわりの塗り絵があったので、複製画を観ながら16色入りのクレパスを駆使してゴッホの色を探しつつ、あの盛り上がる筆致の雰囲気をクレパスで何となく真似してみようという取り組みを、もしかしたら小1時間くらいやっていたかもしれない。出来上がりはともかく、複製プリントとはいえ、あんなにじっくりひまわりの色を観察することってただの観賞だとなかなかできないので、すごく面白かったです。塗り絵が終わった後、42階のショップに戻ってクレパスを買いそうになりましたよ。冷静になって買わなかったけど、翌週世界堂にもう一度見に行ってしまった。やっぱり買わなかったけど、、、でも、もし絵をかくならオイルクレパスを使ってみたいかも、と思いました。水彩とか油彩とか、準備も扱いも片づけも厄介そうだけど、これはどんどん重ねて塗ると何となく雰囲気が出てくるのが面白かった。展覧会は9月9日までやっているので、もう一度塗り絵コーナーだけ行ってみたいような、、、もう少し近い場所にあったらきっと行ってるな。

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# by fumiko212 | 2018-08-27 22:27 | アート | Trackback | Comments(0)

8月1館目:モネそれからの100年/横浜美術館

モネは何度も見ているからいいかなあと思っていた矢先に、日曜美術館でこの展覧会についてやっているのを見たら、モネがその後のアート、特に現代アートに与えた影響をテーマにした展示だと知って俄然興味がわいた展覧会。想像通り、とても面白い展示だった。

展示を見る前、番組を見た段階で、直島の地中美術館のことを思い出していました。地中美術館にはモネ以外に2作家の作品を展示しているけれど、その2人はいずれも現代のアーティスト。なぜこの3作家を選んで1つの美術館に収めているのかが謎だった。モネの作品が最晩年のものだったというのが一つの手がかりだったのだとやっと理解できた。
白内障の手術を受けることなく晩年の制作を行っていたモネは、意図してなのかそうなってしまったのかはわからないけれど、かなり抽象絵画に近いような作品を残している。今「抽象絵画に近い」と書けるのは、日曜美術館で現代アートへ与えた影響について聞いたからであって、直島で見たときは、そんな風には思っていなかった。睡蓮の池を思いっきりピンボケにしてそうするとぼやけるはずの色彩は現実よりもコントラストが激しくなり色の洪水のような画面を作っているあの作品を見て、それは白内障の影響による画風の変化だと思った私は、よくぞ白内障になるまで長生きしてくれたという感想を持ったのでした。だって、もしそうなる前にモネが亡くなってしまっていたら、こんな風に色彩が爆発したような作品は生まれなかったのだと思ったから。でももしかしたら意図的にそういう作品を描いていたのかもしれないのか、、、本当に最後まで進化し続けていたんだな。

最近、美術展の記録をブログに書いているので、過去の自分の記事を読み直していたら、自分の書いたことにびっくりした。4年前の世田美のボストン美術館展で見たピサロの作品について書いた部分をコピペ。
すっきりとした木立の下の部分は枯葉の残った藪が描かれているのですが、そこだけをじっと見ていると、まるでポロックのドリップアートのように見えるのです。ポロックはもしかして印象派の作品からあのアイデアを得たのでは?と思えてきました。その視線でモネの睡蓮観ると、やっぱり同じようにドリップアートのように見えてくる。すぐれた芸術表現は、そうやって次の時代の芸術家に受け継がれつつ発展していくものなのかもしれない、と勝手に納得して鑑賞を終えました。
勝手に納得してたら4年後にそれをテーマにした展覧会が開催されたのか!4年前の自分の感想を忘れているところが残念ではありますが、自分、よく見てるじゃん!とちょっと自信を持ちました。嬉しいなあ。

今回の展示作の中で、何となく印象に残ったのがロンドンを描いた作品。フランス国内で描いたものとは決定的に空気感が違う。ロンドンを描いたものには鉄道や橋などの人工物が描かれてて、フランス国内の作品は自然を描いたものが多いという違いもあるけど、例えばサンラザール駅と比べたってやっぱり違うもの。なんというか、光がフランスよりももっと繊細で画面が薄氷で覆われているように見える。
それらの作品と並べて展示されていたのがニューヨークを題材にしたモノクロ写真作品で、その中の一つはMETにも所蔵されているフラットアイアンビルを写したよく知っている作品(NY好きさんは見ればきっと知ってる)でした。写真家の名前はエドワード・スタイケン。写真の登場により風景や肖像を写実的に描くことが絵描きに求められなくなった時代に生まれた印象派の画家の影響を受けた写真家の作品かあ。これまた面白い発見でした。
今METのサイトでこの写真作品の解説を読んだら、”ホイッスラーの「ノクターン」シリーズを連想させる””前景の枝は浮世絵を連想させる”などの記載がありました。それにも納得。さらに、METでは”異なる印画3点を所蔵しており、それぞれ色調が異なるため移り変わる夕暮れの光景のようだ”とも。まさにこれはモネが絵画でやっていたことで、例えばルーアンの大聖堂や積み藁などの連作とのかかわりも指摘できるということなんだな~。ブログ書かなければここまでわからなかったよ。やっぱりブログに残しておくっていいな。

観終わって思うのは、モネもっと見たい。パリに行ってマルモッタン、オランジュリー、オルセーを巡りたい。しばらく落ち着いてたパリ行きたい周期に自分が入ってしまった。セーヌ川をノルマンディまで下りながらモネの描いた風景に出会う旅とかもいいな~。しばらくこの妄想旅行で楽しめそうです。

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# by fumiko212 | 2018-08-10 22:27 | アート | Trackback | Comments(0)

7月5館目:縄文1万年の美の鼓動/東京国立博物館平成館

7月の最後の金曜日に訪れたのは縄文展。素晴らしかった。これは必見です。本当に観てよかった。なんというか、、、日本人観が変わった感じがする。
縄文土器と言えば、岡本太郎の写真で見て以来、何となく気になる存在。それから、チェロの先生が縄文にはまっていると何度もうかがっていたので、その刷り込みもあった。3月には先生が演奏するというので、本展のプレイベントも聴講しました。
国宝が揃うのは来週から、というタイミングだったけど、とにかく混んでしまわない内に、、、と急いで出かけました。しかし、肝心の縄文のビーナスがまさか後期のみ展示だったとは、、、かなり残念。それでも、展示されていた作品がとにかく膨大で、3時間みていったけどギリギリでした。

まずは土器を中心とした前半の展示。入ってすぐのところに中期(と記憶)の大型土器が展示されており、その存在感と造形の美しさにしばし釘付けになりました。国宝の火焔型土器の姿とは全然違ったのですが、規則性がありながら複雑に表面を取り巻く文様、堂々とした力強さと優美な繊細さを併せ持つ形状、そして何より感動するのが焼成時なのか煮炊きに使った跡なのか表面の煤の跡。これ書きながら、やっぱりもう一度見たいという気持ちがむくむく湧き上がってきています。濱田展もでしたが、1つ目の展示物を選ぶセンスに脱帽。完全に縄文の世界に没入してしまった。
震える足取りで壁際の展示ケースへ移動。展示番号1番がついた、多分今回の展示物で一番古い時代、草創期(前11000~前7000年)の土器「微隆起縄文土器」を見た。最初に見た新しい(と言っても前3000年とか)ものよりはサイズは小さく文様のパターンも少ないけれど、その繊細さは決して稚拙ではなく、すでに完成された美をたたえていることに衝撃を受ける。地域や時代によって形状や文様、薄さなど変化するものの、古い時代ほど原始的であるという法則はなく、あらゆる時代においてもその手業は完成されており、洗練された美が表れていることが一目瞭然だった。
縄文の美とは、私は何となく「土着的で原始的な美しさ」つまりはプリミティブなものであろうと予測していたのですが、実際には造形においても装飾においても複雑な洗練の美しさを持っていることに本当に驚かされた。ここまでは土器や狩猟道具、装身具を展示した前半のエリアでの感想。
後半は国宝を集めた部屋からスタート。ここからは土偶を中心とした祈りの世界が始まります。土偶については土器とは全く違う印象を受ける。国宝の3件はどちらかというと土器と同じく洗練とプリミティブを併せ持っているけれど、その先に並ぶ土偶たちの造形はプリミティブの世界。土器ではあれだけ形に洗練を与えた人たちが、自分たちに似せた偶像を作るときは写実から遠ざかる。それはなぜなんだろう?と考え込んでしまう。キリスト教によってギリシャ彫刻が破壊され、写実や遠近法が一度捨て去られた中世の西洋と重ねて考えてしまう。土器では自由な造形をする一方で、土偶ではあえて写実的な造形を捨てたのは、技術がなかったからなのか?それが祈りのためのものだったからなのか?
出産の無事を祈るためのものとされる土偶が、毎日の食事に使う道具である土器と同じくらいのボリュームでこれだけたくさん展示されている。子孫を残し、集落を一定の人口で維持することを切望した人々の願いを感じる。そんなことを考えながら見ていくと、だんだんと当時の人たちの暮らしが目の前に立ちあがってくるように感じます。
「猪型土製品」というものがいくつか展示されており、解説文には猪は当時において最も重要な獲物だったと書いてありました。煮炊きに使ったという土器の大きさを考え合わせると、猪が獲れた日は、集落全体で猪鍋をこしらえて皆で火を囲み食事をした情景がありありと浮かんできます。そして、猪を丸焼きにするのではなく、こんな大きな深い鍋で煮るのは、水の豊かな日本ならでは。縄文土器があのような装飾性を称えていったのは何と言ってもご馳走に使う鍋だからだったのだと思う。そして出産が近づいた妊婦さんは集落の中で最も環境のいい場所、そこには集落で一番上等な土偶があり、そこで出産に臨んだのではないか。集落全体が大きな一つの家族のように暮らしていたんじゃないかと。
そんなことを思い浮かべながら見ていた後半で、ドキッとする展示物に出会いました。小さな陶板に子供、それも乳児と思われる小さな手形や足形が押されたもの。解説では亡くなった子供のものとも考えられるとありました。土器をつくるのは女性の仕事だったとの解説もあり、無事に生まれた我が子を間もなく亡くした女性が、土器制作の合間に亡くした子供の手形足形を残したのでは、、、と考えずにはいられない。
こうして、後半の展示では縄文の人たちの生活が人間の根源的な願いを共有しながら日々営まれていたことが感じられ、その道からすっかり外れてぼんやり暮らしている自分には眩しすぎる情景として迫ってきました。

例えば、ある画家の生涯をたどる回顧展で、最後に絶筆の作品にたどり着いたときに、ぐっと来てしまうことがあります。この縄文展では、1万年という途方もなく長い時代を生き抜いた縄文の人々の大叙事詩として予想をはるかに上回る何者かが自分に迫ってきた。最後に岡本太郎が愛した縄文土器が展示されており、それが現代に引き戻してくれた。これが無かったらちょっと打ちのめされたような気分で帰ることになったかもしれない。

さて、縄文のビーナスをどこに見に行くか、、、素晴らしい土器群をもう一度見るために上野に行くか、ビーナスが眠っていた土地、茅野市に見に行くか、、、どっちも見る?会期は9月2日まで。どうするか考えます。

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# by fumiko212 | 2018-08-09 23:47 | アート | Trackback | Comments(0)

7月4館目:teamLab★Planets

6月に行ったボーダレスがめっちゃ面白かったので、そのあとすぐにオープンしたPlanetsにもさっそく行ってきました。並ぶ?と恐れていたけど、全然空いてて指定時間にするっと入れましたよ。ボーダーレスもいろんな人に「3時間並ぶんでしょ?」とか聞かれるのですが、どちらも全然並ばずに入れた私たちはラッキーなのだろうか、、、?
ボーダレスが3時間半?4時間?くらいいても時間が全然足りなかったのと、空腹との戦いだったことを思い出して、おにぎり食べてから向かいました。こっちは25時までやってるから時間はたっぷりある。なんですが、値段は一緒なのに展示は1/3くらい?1/4くらい?な感じで2時間くらいで見られちゃったかな?拍子抜けでした。
Planetsは裸足で入ることと水がいっぱいあることが特徴。だから夏に行くべし!です。そしてやっぱりすごく楽しい。
巨大ボールがギュウギュウにある部屋ではもう少しで追い出されるくらい遊びました。だって不思議なんですよ。床に落ちてる巨大ボールを上に持ち上げて投げるとなぜか浮いたまま止まる。中にはどんな気体が入っているのだろうか?
水の部屋は鯉が泳いでた。花も咲いてたり。それが人に反応する。思想はボーダレスと共通なのだと思う。
三半規管が弱い人は立っていられない鏡の部屋とか、最初のビーズクッションの部屋とか、それぞれワーワー言いながら楽しめます。けど、どっちか一つ行くならお台場のボーダレスを強力にお勧めします!

これから行く人への覚書。
・ひざ下くらいまで水につかるので、短パンを借りるか持参する。(着替える場所あります)
・スマホは首からぶら下げる袋をもらって持込み可。
・荷物はすべてロッカーへ入れる。
・夏に行くことをお勧め。
・水着で泳いでる人はいなかった。多分怒られる?
・ボーダレスと違って逆戻りはできない。

7月はいろいろ行ったんだなあ。もう1個あります。

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# by fumiko212 | 2018-08-08 00:52 | アート | Trackback | Comments(0)