2018年 11月 11日 ( 1 )

11月3館目:太陽の塔

順番が後先になりますが、近いところから書くことにしました。
この週末、大阪~兵庫~岡山県を横断してきました。目的は神戸でイッサーリスが出るコンサートを聴くことだったので、神戸空港まで飛行機で往復すればいいのかな?と考えてました。しかしコンサートの前にどこか寄り道先を考えて、伊丹に行けば太陽の塔に行ける!とさっそく入館券を予約。思ったより遅い時間の飛行機しか取れず、今回も駆け足で内部見学だけをする感じで行くことになってしまった。いつになったらみんぱく(国立民族学博物館)に行けるんだろう…。
万博公園駅に着くと、雨の予報だったにもかかわらず早めに天気が回復して太陽がギラギラと照りつけ、遠くで太陽の塔が輝いているのが見えた!おお!前回は曇天だったのでこの光景を観られなかったのだ。そして、2度目だけれど観た瞬間にやっぱり心臓がドキンとする。体の深いところが反応する感じ。そして写真ではどんなに拡大しても伝わらないなにものかが、まだまだ遠く離れた駅前からの距離でもグオングオン伝わってくる。50年近くたっても全然衰えていないのだ。
飛行機がちょっと遅れて時間ギリギリだったので外観の写真は後回しにして小走りで塔に向かう。以前よりも塔の周りに人が多い。塔の裏から地下に入っていくとそこがチケット売り場。チケットを買ってまずは地底の太陽ゾーンで展示を観ながら時間まで待機することになります。入口から続く通路に、太郎が最初に万博のモニュメントの構想を始めた6月(多分69年か68年が記録忘れ)の日付入りデッサンの複製が展示されていて、これは必見です。少しずつ太陽の塔の形が表れ始めるのが7月、8月くらいだったかな。最終的に9月の日付で今の太陽の塔の形になるのですが、時期を追うごとに鉛筆の線が炎のように揺らめきながらだんだんとあの形が表れてくる様で当時の息吹のようなものを感じました。すべてを観終わった後、実はあのデッサンの複製が一番印象に残ったかもしれない。
地底の太陽は複製ながら迫力十分でした。周囲にはアフリカ・アジア・オセアニアを中心としたものだと思うのですが、呪術的な印象の仮面や人型の像などが並んでいます。それらは皆古いもののはずなのですが、やはり太陽の塔と同じく衰えないパワーを感じられるものでした。うーん、みんぱく行きたい。
予約時間となり、いよいよ復元された生命の木ゾーンに。16人程度までのグループで入場し、案内の女性が各フロアに待機していて、一定の時間区切ってそのフロアから見える模型類を鑑賞する、という方式で頂上まで登って行きました。テレビで紹介されていたけれど、この模型類は多くが失われており、新たに復元したもの、残っていたものに関しては痛んだ状態のまま、もしくは補修して展示されているとのことでした。説明によると万博当時にはこの模型たちが動いていたそうなのですが、現在は動く模型は1体もありません。また、万博当時は1000体もの模型があったそうですが、今回はすべては復元していないとのこと。

結論から言うと、現在の展示は少々すっきりときれいにまとまりすぎてしまっているのではないか?という印象を受けました。今でも私が知らないあの70年の万博で溜めた熱を少しずつ発し続けているような外側に対し、内部がどうしても綺麗すぎる感じがしたのです。想像でしかないのだけれど、高度経済成長が頂点に達しようとしていたあの時代に岡本太郎が投じたマグマの塊たる太陽の塔の内部、を現代に再現するのは難しかったのかなあ。

展示の要所要所には万博当時のままの案内板が残っており、そこに太郎の魂が宿っている1枚を見つけました。頂上にあった太陽讃歌のような言葉。メモしてこなかったのでここにそっくり書くことはできないのですが、アメーバからつづく生物の進化は太陽の光なくしてはなしえなかったこと、そして人類は太陽を称えて世界各地で祭りを行う、というようなことが書いてありました。この太郎の言葉で生命の木の展示は締めくくられ、万博当時の観客は塔の腕を伝うエスカレーターに乗って、大屋根の未来の展示へと向かったそうです。そこには輝かしい夢の未来だけでなく、核戦争のような不穏な未来をも予見されていたとの解説がありました。この万博の翌年には福島の原子力発電所が稼働し始めたのです。

岡本太郎というと情熱とか爆発とか陽のエネルギーの人という印象があるけれど、著作から感じられる静かに冷めた視線、陰のエネルギーが作品にもちゃんと潜んでいることを再認識しました。
そうした感慨を持ってもう一度外観を見ると、背中側の黒い顔の意味がはっきりと感じ取れる気がしました。過去を表わすというこの顔は、大地と未来をつなぐものであり、生命の木がどんなに太陽に向かって枝を伸ばし神の領域に近づこうとしても、未来を表す金の顔が胴体からどんなに首を伸ばしても、その根は絶対にこの大地から離れない。いつも過去がそこにつなぎとめている。それを太陽の裏側で見つめている月のようでもある。

内部の観賞は今回の一度でよいけれど、外観はこの先何度でも見に行きたい。あれは一体何なのだろう。万博の翌年に生まれた私は、あれがどうしても自分とどこかでつながっているような気がしてしまうのです。

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by fumiko212 | 2018-11-11 21:23 | アート | Trackback | Comments(0)