絵画を読む、詩を読む

料理は科学だ、ということがありますが、アートも科学、銅版画なんて化学だよな~と思う今日この頃。という話をしていたら、「芸術家は詩人の心を持った科学者」という名言を聞いた。誰が言ったの?と聞いたら自分だと。酔っ払っていたのもあり、そこにいた皆がそーだそーだ!と盛り上がりました。アーティストは右脳派かというと、それだけじゃだめで、右脳と左脳、両方を自然と切り替えながら作品を作れる人がすぐれたアーティストだよね、とそこにいたみんなが納得。

先日、大原美術館で、美術館スタッフさんがリーダーとなり、グループで語り合いながら作品を観る、という素晴らしいツアーに参加しました。30分のツアーで3作品をじっくりと、その時の参加者は5人で回りました。中のおひとりの方が、原田マハさんの「楽園のカンヴァス」を読んだばかりで、本を持っていらしていました。5人の内3人はこの本の読者で、織江さん(主人公で大原美術館の監視員という設定。担当のガイドさんがイメージぴったりの美人だった)と回れる~と最初からウキウキでスタートしたツアーでした。

せっかくだから本に出てくる作品を、と最初に見たのがシャヴァンヌの「幻想」という作品。ガイドさんは最初に「何が描いてありますか?」と問いかけます。一人1つずつ答えるのですが、一人目が「ペガサス」というと「どうしてペガサスだと思ったの?」と問いかけられます。「羽が生えた白馬だからペガサスだと思った」と答える。次の人が「天使」と答えると、再び「どうしてそう思ったのですか?」と続く。私が聴かれたとき、「「天使」でなくて少年だと思ってました。」と答えると「どうしてそう思ったか?」。私は「単純に小さく描かれているから少年かと?」とダサダサな答え。次に「女性」と答えたけれど、別の人が「もしかしてこれは人でなくて彫刻?」理由を問われると「動いていないように見える」。「もう少しよく見ていきましょうか。女性の手に何か持っている物が見えませんか?」と問いかけられると、蔦を振り上げてペガサスの首に巻きつけていることに気づく。みんなで「わ~全然気づいていなかった!」と発見する。そうすると途端にこの絵が動きのあるものに見えてくる。次に遠景。「森」「岩山」と答えていくと、別の人が「城壁に見える」などとここでもいろんな答えが出てくる。「手前は室内のようなのに奥は自然が広がっている不思議な印象が出てきた。」と私。1枚目で参加者がそれぞれ発見と感動を体験した。
次に向かったのが2階のピカソの「鳥籠」。これも最初は「何が描かれているか?」の問いかけから。「鳥籠」と答えると「なぜそう思ったか?」と聞かれます。「タイトルが鳥籠だから」。「テーブルクロス」「なぜそう思ったか?じゃあその下はテーブルだと思ったのですね?」と問いかけが続きます。次に鳥籠の中の鳥について。「どこに止まっている?」と問いかけられ、よーく見ると「鳥籠の壁面につかまっている!」と気づく。さらに羽を広げ、くちばしも開いている。「うるさくさえずっている?」「バタバタ羽ばたいている?」とみんなの見解を出し合う。どうしてバタバタ羽ばたいているのか?との問いに「ここから出して欲しい」「自由になりたい」「ピカソは独占欲が強かったから閉じ込めておきたい象徴」。私は「知らない人が部屋に入ってきて警戒してバタバタ暴れている」と感じた。子供の頃飼っていた文鳥が、すごくビビリでそんなことがよくあったのを思い出した。ここまででも十分に発見があったけれど、ガイドさんは「せっかくのピカソなので、もう少し見ていきましょう。」と背景について問いかける。「窓際で窓の外は曇天」「私は晴天に見えてた」と意見が出る。「女性の頭部の彫刻に白い部分と黒い部分があるけれど、これは光と影?」と気づく。私にとってこの瞬間が発見と感動!でした。ピカソはやっぱりとことん具象の画家だったのだ、と思った。聞いてみればよかったな~。ここまで見てもまだもう少し、と次はこの部屋には誰がいるか?私が思ったのは、「最初ピカソは一人で没頭して仕事をしていた。そこに誰かが入ってきた。そして鳥が暴れ出す。ピカソの集中もそこで乱されてしまった。」という場面。「ピカソ自身が囚われている感覚を持っていた」という意見も出たりしたかな。1枚の絵を見ても受け取るストーリーは人それぞれ。本当に面白い。適当に思いついたことに、なぜ?と問いかけられることで、さらにじっくり考えたり見たりするようになる。他の人の意見で自分の感じ方が変わったり、気づいたり。どちらの作品も午前中に1度、しかもピカソは「ピカソか~」とそれなりにじっくり見たつもりだったけど、何一つ気づいていなかった。
最後に、「抽象絵画も1枚見てみましょう」と抽象絵画が並ぶ場所へ。みんな一斉に「ここは飛ばしてた~。」「無理~。」と声が上がる。アレシンスキー「夜」を見ていく。最初に「好き?嫌い?」との問いかけに、「嫌いかな、、、」と答えた方に「なぜ?」「暗いから」。すると「暗いと思いますか?」と問われ「タイトルが夜だから暗いのかなあ」と私。「でもよく見て」と促されると、赤や緑を発見する。「文字みたいに見える」「テキスタイルみたい」などの意見が出ると、少し離れてみるように促される。「先ほどは文字とかテキスタイルと平面的な印象を持たれていましたけれど、ここから見るとどうですか?」と問われると、なるほど「夜の街を俯瞰で見ている?」という気がしてくる。最初はみんなが無理~と思った作品だったのにいろんな風に見えてきた。
ここでツアーはお開き。でもせっかくだから、隣にあった抽象絵画の「メキシコ」をもう一度見てみた。一人で見たときは、メキシコの町を上から見たイメージ?カラフルなメキシコの衣装?などと考えていたけれど、少し離れたら、それが激しく跳躍し踊る人物に見えた!感動~。こんな見方を全部の作品でやっていたら1つの展覧会を何時間かけても見終わらないけれど、2~3枚だけでもこうやって見るようにしたら面白いだろうな~と、これからの美術鑑賞に新たな楽しさが加わった。自分が始めた子供との美術鑑賞の活動にもすぐさま活かせる体験だった。

この後、美術館を去りがたく、もう一度「受胎告知」の前に行くと、先ほどのツアーでご一緒した方たちと再会し、感想を語りあったり、インスタをフォローしあったりと交流まで生まれてしまった。なんて意義深いツアーだったんだろう、、、と大原美術館と私たちの織江さんに感謝。

長くなりますが、話は続きます。
先日のムットーニさんの講演の話。ムットーニさんが前橋文学館に依頼された萩原朔太郎の詩「殺人事件」を題材に収蔵作品を完成させるまでのお話でした。講演会の2日前に、東京のギャラリーで新作の展示があったのでムットーニさんとお会いできたのですが、前橋に行くことをお伝えすると、「先に殺人事件を読んでおくと面白いよ。」とのことでした。ネットで見つけられたので自分なりにじっくりとこの詩を読んでみました。詩を読む習慣がないのでなかなかに難しいのですが、何度も読んでいくとイメージできる部分が増えてくる。私がたどり着いた結論は、恋人を殺したのは「私の探偵」だったのでは?つまり「曲者」は私自身だったのでは?そこで、帰宅後に手元の文庫本でこの詩を読むと、「私の探偵」に注釈がある。読んでみると「私の探偵=曲者」とする解釈もあるとのこと。これはかなり嬉しかった。そしてムットーニさんの作品を観ると、なんと「私の探偵=曲者」で表現されている!
講演でムットーニさんがこの解釈に至った説明があり、そしてこの大発見を世田谷文学館の学芸員さんに披露されたところ「それは定説ですね~。ムットーニさん凄いですね。」と軽ーく言われてしまったのだそうです。そうなのか~。
ムットーニさんの解釈はさらに続き、作品の特性上、一度展開した物語を元に戻さないといけないために、スタートを詩の冒頭とせず、最後に詩の冒頭に戻る、物語をループさせることで曲者=私の探偵は永遠のこの殺人から逃れられないという解釈を得る。ではだれが曲者を突き止めたのか?それは殺された女であるはず。。。
こうして詩を深く深く読むことであの作品世界が形づけられていくのか、、、

詩につづられた言葉をとことん読み込み、そこから感じる感覚、冷たさ、透明感、色、光、時間、物語をどう解釈し、ご自身の作品の中で表現できるか、表現するか、の試行錯誤についてのお話はそのどの部分をとっても発見と感動の連続であることがわかる。あのピカソの絵を何度も見返して、だんだんと深く作品に入っていく作業と通じるものがあるように感じた。そうなると、今まで読んだ詩も何度でも楽しめるのだろう。

一枚の絵、一枚の詩、優れた作品が永遠に色あせないのは、そうやって一人一人が何度でも深く読めるものだからなのかもしれない。

by fumiko212 | 2018-12-29 03:02 | アート | Trackback | Comments(0)
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