作業になっていないか?

先日、瀧口修造が何度も出てきた話を書きましたが、今回は「作業になってないか?」という言葉が続けて出てきた話。

全て表現についての話で、同じ意味で出てきました。

最初は、デッサンについて。黒い部分をどう描くか。黒く「塗る」のはダメ、あくまでも「描く」。「塗る」のはただ鉛筆を動かす「作業」になってしまう。それは見て描いていることにならない。

次は、先日の前橋文学館まで聴きに行ったムットーニさんの講演で。ムットーニさんの作品は、板にヤスリをかけたり、ひたすらハンダ付けしたり、の作業が山ほどあるのだけれど、作業に没頭してしまうと自分が何をやっているのかわからなくなる瞬間があるのだそうです。そこでそのまま作業に没頭せず、第一印象に立ち戻るようにしている、とお話しされていました。

そして、最後はチェロのレッスンで。リズムが上手くとれず、自分はリズム音痴なんじゃないかとよく思うと質問したところ、先生から「常に拍を意識すると良い。」とアドバイスを頂きました。但し、先生はメトロノームを使うのは好きじゃないと。「メトロノームでずっとやっていると、作業になっちゃうんだよね。」とおっしゃったのです。メトロノームは最後の仕上げで確認で使うのは良いけど、最初からずっとメトロノームはお勧めしないとのことでした。

ここまで来ると、本気でピンときます。表現において、作業に埋没するのは最も危険なことなのだと。

そういえば、作業になってるなって思ったことがずっと前にあったことを思い出しました。ピョンチャンオリンピックの時のフィギュアスケート坂本選手。確かショートの方だったかな?最初のジャンプを失敗して、後半のジャンプの構成を変更して乗り切った演技だったのですが、私にはあの演技はまさに「作業」に見えたんだよな~。そういうことだったのか。

表現というと芸術的な事ばかりを連想するけれど、生活のいろんな場面でも「作業」にしてしまうといい結果が出ないものってありそうな気がする。この言葉、覚えておこう。

by fumiko212 | 2018-12-27 22:36 | アート | Trackback | Comments(0)
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