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「犬伏」を観た

三谷ファンである私にとって、今年の生きる糧、「真田丸」。今日、というか地上波では今、いよいよ「犬伏」です。先週の予告以来1週間、毎日この日が来るのが恐ろしかった。公式インスタのカウントダウンに心をざわつかせ、特集映像を観ては涙ぐむ1週間でした。ふと「いやだなああああ」と言っている自分に気づくことが何度もあった。待ち遠しいはずの日曜が来なければいいのにと思う日々。しかし、見終わった今、これが希望の物語であったことに有働アナのナレーションのとおり「心を揺さぶられ」た。
涙はあった。けれどここからまた先に進むのだ!という気分になった。
さあ、12月までしかと見届けますぞ!

さて、もう一度観るか~。
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by fumiko212 | 2016-09-04 20:10 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(0)

酒と涙とジキルとハイド

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観てきました。笑ってきました!
三谷さん曰く、観た後、何も残らないのが最高の喜劇。
はい。お腹がよじれ、涙を流しながら笑い転げた、という記憶しかありません。

感想を書くのは野暮ですが…
10年後、藤井隆さんに「君となら」のお父さんをやってもらいたい。
優香さん、また三谷さんの舞台で観たい。再演だったら、コンフィダントとかホロヴィッツとかいいかも。
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by fumiko212 | 2014-04-18 21:13 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(0)

ついに…

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ついにこの日がきました!三谷作品に高泉淳子さんが出演です!
え?渡辺謙が28年ぶりにパルコ劇場?和久井映見が初舞台?まあそんなのはどっちでも良い。むしろチケット取りづらくなるようなキャストはいらないんだよな〜。笑
高泉ファンの私たちは渡辺謙って舞台どうなの?三谷作品ってラジヲの時間のトラックの運ちゃん以来だよね?大丈夫なの?という扱い。いえ、お二方とも嫌いでないです。むしろどちらかというと好きです。でもね、三谷さんと高泉さんのコラボ(さらにそこに段田さんが絡む)という部分が一番楽しみ。パルコ劇場のHPでも三谷さんが、「高泉さんを知らない人にすごい女優さんがいると知ってもらいたい」とコメントしてました。

実は白井さんとご本人意外の演出による高泉さんを観るのははじめて。そして今回の舞台はコメディなのだとか。どんな舞台になるのかワクワクしながらまってます!
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by fumiko212 | 2012-11-28 17:37 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(2)

三谷文楽 「 其礼成心中 」@パルコ劇場

既に公演終了しましたが、三谷さんの文楽、観てきました。チェーホフはパスしてこちらを選んだのだけど、本当に観てよかった。初文楽鑑賞でもありました。三谷さんの脚本、演出だからこそのおもしろさだけでなく、文楽を楽しめたからこその「観てよかった」です。
ストーリーや背景などは私が書いてもいい加減になるので、そこははしょります。そしてあまりに人形達が素敵だったので写真を拝借しました。スイマセン。
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主役はこの2人。(人形だから2体が正しいのかもしれないけれど2人としか書けません。)途中から私の中ではおかみさん(おかつさん)は戸田恵子さん、旦那さん(半兵衛)は角野卓三さんに見えてました。特におかつさんは出てきた瞬間から戸田さんだった。(人形の顔は白井晃さんに似てたんだけど。)新選組の時のイメージ。きっぷがよく面倒見のよい素敵な女性なのです。で、半兵衛の右往左往振りは「君となら」のお父さんを彷彿とさせた。
最前列だったので人形遣いたちの姿もよく見えていて、ほほー、3人の役割分担はこうなってるのか、モノを持つときはこうするのね、と技術的なことも目で見て確認してるんだけど、基本的には人形を生身の役者さんとしてみていました。表情、動き、セリフ、どれひとつとっても役者さん以上に生々しい。
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後半のクライマックスシーンではお福ちゃんがすごかった。(この写真はそのシーンではないです。)実の父親に心中をけしかけられ突っ伏してバタバタと泣き叫ぶシーン。数日後、日本を代表する彫刻家、荻原碌山の「デスペア(絶望)」を観たとき、あのときのお福ちゃんとそっくりではないか?と思ってしまった。あれだけ爆笑の連続だったシーンが「デスペア」から思い起こされてしまうくらいお福ちゃんの嘆き悲しむ姿はすごかった。
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近松の新作「心中天網島」を観劇する饅頭屋夫婦の図。舞台をハラハラと見つめるおかつさんの表情、わなわなと震える手、一時たりとも気を抜かず指の先まで常に神経が張り巡らされている演技に脱帽。

なんと言ってもよかったのは夫婦が仲良く舞台奥、お福ちゃんが待つ饅頭屋に向かって去っていくラストシーン。

カーテンコールでは人形遣い1人が人形1つを持って登場。普通の舞台のときのように脇の人形から数人ずつ中央に出てきて挨拶していきます。最後に前に出た主役の2人には割れんばかりの大拍手。拍手しながら、この拍手は誰に対して贈られているのかを考えるとなんだかおかしくなった。人形遣いは1体に対して3人、セリフは太夫がしゃべっていたんだから合計4人に対しての拍手ということになるんだろうけど、これはもう半兵衛とおかつを完全に1人の人として拍手を贈っている状態だ。このカーテンコールがこの日の舞台の素晴らしさを表していたように思った。拍手を受ける人形遣いさんたちの嬉しそうな表情も印象的だった。

行く前は、もしかしたら寝ちゃうかも、、、と危惧していたのに、帰りにはこれはいずれ文楽の古典も観に行かねば、と軽い興奮状態の中で思っていた。それはストーリーのおもしろさ、演出のおもしろさを抜きにした人形の存在感に本当にビックリしたから。しかし楽しむにはそれなりの予習が必要なんだろうなあ。
いくつかの劇評を見ると、この作品は文楽の本流を見てきた人には「それなり」に楽しめるもの、というのがおおむねの評価のようだった。本流を見ている人ほど、本流との違いに目が行ってしまうものだろうから。
不勉強なのでまったく知らずに書くけれど、文楽におけるルールがいろいろあるとして、そのルールはかつての作り手が新しいことをやろうとしたときに少しずつ塗り替えられてきた歴史があるはず。あるところで今残っている形がベストということになったのだろう。無形文化財になったら今度は変えることが許されなくなってしまったりもするだろう。でももし、その止まったところから先も進化を続けていれば今回の舞台のようなところにも支流のひとつが行き着くことがあってもおかしくない。三谷さんをはじめとする作り手側が目指していたのは、きっとこんなことなんじゃないかと私なりに想像した。
そもそも現代に残っている文楽作品に喜劇ってあるんだろうか?もしかしたらないのかもしれない。けれど、近松が生きていた時代には喜劇作品もあって、それが好きだという観客もいて、笑いがあふれる芝居小屋があったに違いない。そんなことをいろいろと考えながら、まだ見ぬ古典芸能としての文楽という世界に思いを馳せた。

そういえば最近の三谷さんのコラムで、戸田さんの素晴らしさについて書いてあった。細かいことまで指示しなくても自分のイメージどおりに動いてくれる。例えば「むっくり起き上がる」というト書きがあっても起き上がり方は役者さんの解釈により変わるのでそこに演技をつける必要が出てくる。(実際はそこまで細かくは言えないのでそのままになる。)けれど、戸田さんの場合は一発で理想の「むっくり」になる。のだそうだ。この日の人形の動きは、そのあたりが完璧だったんじゃないだろうか。

追記:
そういえば、今回も舞台の中で三谷さんの心の叫びが。(笑)

近松に半兵衛がクレームしに行くシーン。

心の叫びその1:
実際にあった心中話を基にした作品でヒットを出し続ける近松に対して半兵衛が「実話を題材にしてばかりいないで、ゼロから書いてみろ!」(オリジナル脚本執筆の辛さが滲む。)

心の叫びその2:
曽根崎心中の悪役(名前を忘れてしまったけどウィキペディアで見ると多分九平次?)が実際以上に悪く書かれて迷惑してるんじゃないか?と言った半兵衛に反論して近松が「そりゃ多少の誇張はある。けどそれは観客が望んでいるからだ。自分は観客の期待に応えているだけだ。」(「史実と違う」で散々な目にあったもんね。)
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by fumiko212 | 2012-08-29 21:50 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(0)

90ミニッツ@パルコ劇場

b0031055_9102791.jpg12月の観劇記。現在パルコ劇場で追加公演中ですがネタばれありですのでご了承ください。

観劇前には作、演出、出演くらいの情報しか目を通さない私ですが、この作品については朝日新聞の劇評を読んでしまっていました。自分がない人間なので人の意見を読んでしまうと完全にそれに染まっちゃうから絶対読んじゃいけないのに。魔がさした。朝日新聞にとって三谷さんは身内のようなもの(劇評が出る同じページに三谷さんのコラムが掲載される)なので、おおむね好意的に書かれており、それほど変な先入観は持たずにすみましたが。
そうはいっても大まかなあらすじはわかっちゃっていました。こういうのって少し情報があるのと全くないのとどちらが楽しめるのか答えは出ないです。

昨年は三谷さん50歳記念(どうでも情報ですが小曽根さんと同い年だ)で4本の新作舞台が上演されるという三谷ファン、特に三谷さんの舞台作品を愛する私にとっては充実した観劇イヤーとなりました。その中で一番楽しみにしていたのがこの二人芝居でした。

公式サイト(今確認しましたが)によるとこの作品のテーマは「倫理」とのこと。
ある少年が交通事故にあってしまう。大けがではあるものの手術さえすれば命に別条はなく、運び込まれた病院では父親の到着次第手術を開始できる態勢が整っている。無事父親が到着。ところが父親は手術の同意書へのサインを拒む。手術には輸血が不可欠だが親子が住む地域の因習で輸血はできないためだ。担当の整形外科医がそれを説得する。手術をしないまま少年を放置すれば90分後には死に至る。
整形外科医は父親のサインなしに手術にゴーサインを出すことが出来るがそれでは自分のキャリアに傷が付く、父親はサインすることが出来るが帰郷後に周囲の偏見の目に耐えなければならない。90分間、お互いを説得しあう男2人の会話劇。

最終的には一方がギリギリのところで自分の利益を棄て少年の命を救う選択をするのですが、その時に2人の心を満たした感情は、、、私には、その部分にこのお芝居で三谷さんが言いたかったことが凝縮されていたように見えました。それは「倫理」という頭で考えること(と私が思っているだけですが)ではなく、人間がどういうときに本当の幸せを感じるのか、社会的な幸福ではなく動物的な部分での「人間の幸福とは?」というのがこの物語の本当のテーマだったように思うのです。

ネタばれついでに最後まで書くと、もうこのタイミングで手術を始めなければ後は少年の死を待つのみ、というギリギリのところで反射的に医師が内線電話を取り手術室に電話します。そして「私が全責任をとるから今すぐ手術を始めなさい。」と叫ぶ。電話を切って我に返った医師は「私の負けです。でも不思議と後悔はしていない。むしろすがすがしい気分です。」といいます。一方父親は打ちひしがれたような顔をしています。医師が「あなたの勝ちだ。せめてもう少し嬉しそうな顔をしてください。」といいますが、父親は「私は父親として息子の命を救う機会を失いました。その思いに一生苦しむでしょう。」と言い残して部屋を去っていきます。

最初2人は自分の利益、この先の自分の人生の幸せのためにそれぞれの意見を曲げなかった。90分後に幸せを感じているのはその表情からも明らかなように自分の意見を曲げた男。

もしかするとこの先父親は訴訟を起こして病院を訴えるかもしれない。(父親は「サインなしに手術をしてください。」と医師に頼みますが、医師が「もし私がサインなしに手術を行ったらあなたは病院を訴えますか?」と聞くと父親は「それはもちろん訴えます。」と答えるシーンが何度も繰り返されます。たとえ父親が訴えなくても劇中に電話相手として登場する妻は間違えなく訴えそうです。)そして医師のキャリアは思い描いていたものとは別の形になるかもしれない。もしかしたらあの時反射的に電話をしてしまった自分を呪い、後悔の念が医師を苦しめ続けるかもしれない。そんなときも、立ち止まってもう一度考えればやっぱりあの選択は間違っていなかったという答えに至る。もしかしたらそうじゃなくても自分にそう言い聞かせ、それが正しかったと確認する。
もしあの時逆の選択をし、理想のキャリアを得て理想の家を持ち理想の人生を歩んだとして、あの時あの少年の命を犠牲にしようとしていた自分はどんな形で医師を苦しめることになるのか。その苦しみの方が大きいに違いない、と思いたい自分がいます。三谷さんもきっとそう思いたい側の人間なんだと思いました。もしかしたら何の痛みも感じないまま人生の幸福を存分に感じて一生を終えるだけかもしれないけれど。

人生に勝者も敗者もない。
自分の内なる声に従う者に本当の幸せが訪れる。

この2つが三谷さんがこのお芝居で語りたかったことだと私は受け取りました。そうであってほしい、という私の望みが入っているのは間違いないです。
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by fumiko212 | 2012-02-13 21:54 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(0)

紀伊國屋ホール(「紅姉妹」「深呼吸する惑星」観劇記)

昨日の夕刊の三谷さんのコラムに紀伊國屋ホールのことが書いてありました。演劇を専攻していた学生時代の三谷青年がチェーホフに関する講演を聞きに行ったのが紀伊國屋ホールだったのだそうです。そのころの三谷さんは、まだ舞台のお芝居を見たことがほとんどなく、その日上演されたチェーホフの一人芝居を演じた俳優さん(名前が書いてあったのですが忘れてしまいました。)のこともテレビドラマや映画でしか見たことがなかったのだそうです。その日客席から登場した初めて生で見る役者の姿、そして劇場で起こったことすべてが三谷さんの中に深く印象に残っていたことが伝わってきました。もしかすると三谷さんが劇団を結成し、キャリアを劇作家としてスタートさせたきっかけになったのがあのホールでの体験だったのかもしれない、と感じさせるエピソードでした。

去年はその紀伊國屋ホールで2回舞台を見ました。その内の1回目があのホールに入った初めての日だったのですが、震災直後だったこともあってちょっと恐ろしくなるような昭和の匂いがプンプンする劇場でした。ロビーというほどのロビーはなく、階段前の狭い空間がその役割を果たしています。そこには都内の他の劇場で上演中のものを含めお芝居のチラシが壁に貼られていたりして、演劇がもっと熱かった時代を思い起こさせてくれます。

座り心地の良さとは無縁のクッションがヘタってしまった座席に座ると、後方の席でも思いのほか舞台が遠く感じない。縦に細長い客席の配置が舞台に集中しやすい環境を作ってくれているのかもしれないです。(クラシックコンサートは扇状に広がりがあるホールの方が聴きやすく感じるのに。)

さて、そこで見た2つのお芝居について、かなり記憶が古くなってますが書きます。
b0031055_9271934.jpg1つ目は3軒茶屋婦人会なるユニットによる「紅姉妹」。美しく女装をなさって演じる篠井さんを観たくて見つけたお芝居です。脚本はわかぎえふさん、演出はG2&3軒茶屋婦人会。3軒茶屋婦人会は初めてですが、わかぎさん&G2ものはかつては選んで観ていた時代もあったので楽しみでした。

出演の3人の息のあった演技の良さはもちろんですが、脚本がすごく良く出来ていました。舞台は現在から過去に時間を逆回しにして進んでいきます。時代を1つさかのぼるたびにいろんな疑問や謎が解けていく。過去が未来の伏線になっているという当たり前の事実。それをある未来の地点から見ると、この未来が過去の出来事の伏線になっていたという裏表の関係にあるということに気づかされる。同じ話を過去から順を追ってもお芝居として成り立つし十分ドラマチックだったかもしれないけど、ここまでわくわくする舞台にはならかっただろう。劇作家ってすごい。
そして、戦後アメリカに渡りニューヨークに生きる日系女性を年齢も性別も超えて演じる3人の役者のパワーがすごかったです。全篇を通して3人がかつて一緒に暮らしたダウンタウンのバーのカウンターの前が舞台という一幕ものなのに、3人の衣装が変わるたびにそれぞれの時代や季節のニューヨークの空気があふれてくるようでした。脚本、演出、演技、そして観客の想像力、舞台の素晴らしさが凝縮された作品でした。

b0031055_9273051.jpgもう1本は年末に見た第三舞台の解散公演。私にとっては最初で最後の生で見る第三舞台でした。チケットが発売される前に、いつも一緒にお芝居を観に行くことの多い友人を誘ってみたのですが、「え?Fちゃん第三舞台好きだったっけ?」とつれないお言葉。いや、これはもう好きとか嫌いとかじゃなくて歴史を見届けるという意味で行っとかないと、、、といいつつ、やっぱりチケット取らないまま発売日は過ぎ去ってしまいました。そんな私に演劇の女神か紀伊國屋ホールの天使かわからないけど救いの手が!ということでめでたく観劇できました。
あの舞台を一言で表すと「青春」。第三舞台のファンが羨ましかった。私もあんな風なお別れを遊◎機械としたかった。本当に本当に羨ましかったです。
客電が消え真っ暗になった劇場に大音響で鳴り響く音楽、めいいっぱい身体を使って正面を向いて力いっぱい声を出す役者さん、客席の笑い声(私にとってはわからなくても長年第三舞台を見ていた人たちだけが笑う部分もあった)。客席に人の気配が充満しているあの雰囲気が観劇の醍醐味なのだと思い出させてくれました。
同時代のもう一人の雄といえる野田さんの脚本は私にとってはどうしても馴染めなかったけど(私が芸術全般に対して一番苦手と感じる「どうだ参ったか系」だからだと思う。)、鴻上さんはちょうどいい匙加減だったのも嬉しかった。例えば、風刺的な比喩と単なるギャグの出し入れの具合とか、舞台上の熱が上がりっぱなしにならずにどんどん展開していくところとか。
入口で手渡された鴻上さん手書きのあいさつ文のようなものがあって、それに書かれていることも心にジンと響くものでした。ここに一部転載します。

国家や民族、大会社のような強大で強力なものに支えられる人生もあるでしょうが、弱く、小さく、ささいなもので自分を支える人生も悪くないと思うのです。自分を支えるものの弱さを自覚し、そして、その弱さを認めながら人生の可能性を探る試みは、ひょっとしたら強大な支えを求める人生より楽しんじゃないかとさえ思います。

それは1999年(驚くことに既に12年前だ)の私が思っていたことでした。でも、私のような人間はそれを常に自分に言い聞かせていないと、あっという間に強大なものに支えられていたいと思ってしまう。
最初、あらゆる成功を手に入れているように見える鴻上さんがそんな風に思っていたことに驚いた。でも、少し考えればそれは当然の感覚で、弱さ小ささに恐れを持ちつもそれを認める勇気を持った人間だからこそ人の心を揺さぶる創作ができるのだ。

今、もう一度三谷さんのコラムを読み返してみました。「大好きな劇場である。何より本屋さんの中に劇場があるというのが素晴らしい。」と書いてあった。物語と演劇。どちらも生身の身体で受け止めなければならない芸術であるという共通点があるように思う。古く狭い劇場には、モニターを覗き込んでいるときには死んでいる部分を揺り起こしてくれる何者かが棲んでいるのかもしれない。
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by fumiko212 | 2012-02-11 00:13 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(0)

ベッジ・パードン@世田谷パブリックシアター

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2011年、三谷さんの新作3本目、「ベッジ・パードン」を観てきました。

客席が笑いにあふれるお芝居を久しぶりに観た。ただの爆笑じゃなくて、なんとなくあったかい笑い声、劇場の温度がちょっと上がるような。
少人数の演技が確かな人たちが創る舞台を観るのは心底楽しい。それが悲しみや切なさを含んでいても、帰りにはあったかい気持ちになっている。

主人公は日本人留学生の夏目金之助、なのだけど、彼を取巻くまわりの人物それぞれが三谷さんの分身であるかのような印象を残した。それぞれが語るべき言葉を持っていた。

それにしても、浅野さんってすごい人。「川上音二郎一座」のときに、あの人がいなかったらきっとあのお芝居の存在すらきっと今覚えていないだろうなっていうくらい、唯一良かったっていう印象が残ってたけど、やっぱり。

それから、夢の話(作り話)をまるで本当にあったことのように語るベッジに金之助が、「夢の話をするときは、まずはじめに『こんな夢を見た』といわなきゃならない。」というセリフ。これ、「夢十夜」から取ってるんだよ、っていうの、パンフレットにも出てなくて、でもそうなんだもんね、っていうのがわかって嬉しかった。

そんな私は、今朝、自分がロンドンにいる夢を見てしまった。10年以上前に1度行ったきりなのに。
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by fumiko212 | 2011-07-03 00:07 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(0)

「国民の映画」@パルコ劇場

b0031055_2514280.jpg今週の初めにパルコ劇場で公演中の三谷さん作・演出作品「国民の映画」を観ました。

舞台はナチス政権下のベルリン。史上最悪といえるこの政権下における芸術のあり方、表現のあり方をテーマにしながらも、今この瞬間の日本で日々起こっている自由な発言が許されない空気を生々しく連想させる普遍性のあるテーマが根底に流れている作品でした。それは「超」がつくほどの売れっ子になっても、むしろ売れっ子であるがゆえに多くの制約の中で作品を創っているであろう三谷さん自信の表現の自由に対する思いが溢れていたように感じました。

なりふりかまわず自分の理想を追うゲッペルス、自分の作品を創るためなら悪魔に魂を売ることを悪びれもしない女流監督、人間としての心を捨てたかのように淡々と任務を遂行するヒムラー、反ナチス作品で発禁となったにもかかわらずナチス作品に脚本を提供することになる作家ケストナー、他の出演者達も利己のためにそこに集う。誰もが自分は正しいと自分に思い込ませながら。彼らはきっとそれぞれが三谷さんの一部であり、そして観ている私たちの一部。その誰をも完全否定できない人物が12人。劇中で「あの方」と表現される1人の人物をのぞくすべての人は、どこにでもいる日々を生きる普通の人だったのかもしれない。

というのは後から思いを馳せたことで、舞台を見ているときは、一流の役者の丁々発止の演技の世界にただただ没頭した3時間でした。2月に観た、同じく三谷作品「ろくでなし啄木」の時の若い役者さんたちの力任せに突っ走る演技もあれはあれで1つの表現だけど、やっぱり本物の演技、舞台を観る醍醐味ってこういう演技の応酬なんだろうな。「どうだ参ったか」感がないのに圧倒された。

一番楽しみにしていたのは、本当に久しぶりに観る、役者 白井晃。最近では演出家としてご活躍でなかなか役者としての姿を観ることができなくなっていた白井さんを舞台で観られたのが一番嬉しかったです。12人の出演者の仲で最後に登場するゲーリング役でした。歌い踊りながら登場し、オンとオフが交互に訪れる破綻した思考と振る舞いで場を煙に巻く演技は白井さんの持ち味が最大限に活かされていたようにも思うし、新境地に立ったようにも思えました。もっともっと演技もして欲しい。

前半ではコメディ部分をひっぱる段田さんが後半最も冷酷なセリフを淡々と語る姿はそのギャップにあの時代の恐ろしさを感じさせられた。
風間さんは誰よりも活き活きしていた。余裕もあるしオーラもある。
ミュージカルの女優さんでよく名前を目にする新妻さんはちょっと頑張りすぎだったように見えた。そういう役でもあるし、あの座組みの中では致し方なしなんだろうけど三谷作品には馴染まない印象。三谷さんが絶賛する吉田さんのほうが無名にもかかわらず力が抜けてて適度な存在感。今後、三谷作品で観る機会が増えそう。

主演の小日向さんですが、彼の演技のふり幅の大きさってなんなんだろう。キャストを決めてからあてがきするという三谷作品においても、毎回キャラクターが違いすぎる。あの屈折した感じは三谷さんそのもののようにも取れるし、三谷さんがもっとも嫌う人物のようにも取れる。主役級の役者さんに見えないのに(失礼、、)そのまわりに常に場に馴染まない影が付きまとっていた印象が残っています。やっぱり主役を張る俳優さんなんだなと。
もう一人の主役ともいっていいフリッツを演じたコバさん。いつでも最後まで誠実を失わない、けれどゲッペルスの無知や無力をゲッペルス自身に思い知らせるという役はコバさんにしかできない役だった。

毎度毎度、勝手な思い込み解釈で三谷作品を観ている私ですが、先日観た「ろくでなし啄木」にしても、やっぱり三谷さんは常に自分を作品に投影しているように思えます。

図らずもかなり特殊な社会情勢の中で上演が続けられている今回のこの舞台。開演前のアナウンスや終演後に何か特別な挨拶なり募金の呼びかけなりをしているのかしら?と少し思っていたのですが、そういうものは一切なく、いつもどおり、いやいつも以上に、「舞台の幕を開け、その日の舞台を最高のものにする。」という自分たちのやるべきことをきっちりとやっている姿勢に感じ入りました。あの夜、本当のプロフェッショナルの姿が、心が折れてしまって大切なものを見失いそうになっている私を勇気付けてくれました。
震災当日と計画停電初日で都内の交通が大混乱した14日には休演し、先週末の三谷さんの朝日新聞のコラムによると震災直後の客席はガラガラだったのだとか。それでも休演を最小限に抑え劇場の灯を灯し続けている彼らに感謝。
芸術とは、表現とはなんなのか。この作品から問いかけられたテーマの答えがそこにあるように思えました。
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by fumiko212 | 2011-04-02 04:13 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(2)

「グッドナイトスリイプタイト」@パルコ劇場

b0031055_2130534.jpg三谷幸喜脚本・演出の新作舞台「グッドナイトスリイプタイト」を公演初日に見てきました。

今回は中井貴一・戸田恵子の2人芝居です。
セットは2台のベッドと2人が出会ってからの日数を示す電光掲示板のみ。
物語は1組の夫婦が歩んだ30年(10240日)の歳月を行きつ戻りつしながら進みます。

More(ネタバレあり)
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by fumiko212 | 2008-11-25 21:30 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(8)

初日!

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by fumiko212 | 2008-11-23 18:31 | 映画・舞台・ドラマ | Trackback | Comments(0)