マティス勉強中

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今、マティスについての本をいくつか読んでいます。分厚い本ばかりなので、ニース時代、もしくはヴァンスの礼拝堂についてのところをまずは拾い読み。それだけでもマティスの作品理解の手掛かりになります。

グザヴィエ ジラール著「マティス―ニースにて 1917‐1954 (美の再発見シリーズ)」にあったマティスの言葉。オダリスク時代の作品について。

「この物憂い弛緩の雰囲気の中には、人や物を包み込む気だるい太陽の下には、大きな緊張がひそんでいるのです。これは絵画特有の次元で、構成要素の相互のはたらきと関係から生まれる緊張です。」

「大きな緊張」はマティスの作品を観るときの大切なキーワードだと心に刻もう。これは、マティスがまだ経済的に困難だった時代に作品を購入したというセザンヌから引き継いだものだとの記述が(どの本だったか忘れたけれど)あった。私は岡本太郎の「今日の芸術」にあった言葉「芸術は心地よくあってはならない」を思い出しました。明るい室内、窓、着飾った女性、または裸婦、花瓶に活けられた花、美しい家具、自身の作品、など、身近なものが繰り返し描かれており、一見すると親しみやすそうだけれど、よく見ると心地よさとは少し違う。それが「大きな緊張」からくるものだったのだ。マティスの作品をどんどん観たくなる。

「マティス 画家のノート」(二見 史郎訳)はヴァンスの礼拝堂の章を読んだだけなのですが、マティスの言葉の一つ一つ素敵すぎて泣きそうになります。
礼拝堂が完成し、クーチェリエ神父に「あなたは鼻を高くしていられますね。」と言われたマティスは、満足だがうぬぼれたりはしない、と答え、こう続けたそうです。長いけど引用します。「私が十本の指を使って最善をつくして制作してきたいつの場合でも、何かしらあるものがやってきてそれを成就させます、それは私に属しているものではなく、よそからやってくるのです。できるだけのことはやらないといけない、そしてすべてが済んだとき、何か天からの影響力が総仕上げにやってくる…でも、それが次の機会に助けになってくれるわけではない。自信を持って歩き出すこと、そうすれば道は開けてきます。」
これはもうあらゆることにあてはまる言葉で、例えばもうすぐ始まるオリンピックではそういうシーンを何度も目にすることになると思う。なんでもない私たちの仕事や生活にもあてはめられる。「天使が微笑む」とか「神様に選ばれた」とか、いろいろな言い方があるけれど、「自分に属していない何か」に微笑んでもらうには「十本の指」、つまり、決して頭で考えるんじゃなく、体を使ってそのものに触れる、汗をかく、という行為の積み重ねが「何か」を呼び寄せるのだろう。そして「それは次の機会に助けになってくれるわけではない。」本当にそう思う。

最後に、同じく「画家のノート」から。ヴァンスの礼拝堂が完成した後、パリで、あの荘厳なノートルダム寺院を訪れ、そこに集う群衆、建築、ステンドグラス、オルガンの音、そうしたものを見たマティスは自分にこう言ったそうです。「一体あの礼拝堂(ヴァンスの礼拝堂)はなんだろう、(略)あれは一輪の花だ。一輪の花にすぎぬとはいえ、しかし、花一輪ではある」二見史郎さんの訳も素晴らしいのだと思います。これは泣ける。南フランスの丘に建つ花一輪、そんな礼拝堂を持つ彼の地の人々が羨ましい。

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by fumiko212 | 2017-12-31 21:34 | アート | Trackback | Comments(0)
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