真田太平記八巻読書中

いよいよ佳境に入った真田丸ですが、並行して読んでいる真田太平記は一気に読まず、大河と着かず離れずな感じでここまで来ました。何となく予想はしてたけど、案の定、関ヶ原で一気に遅れをとり、現在文庫版の第八巻、紀州九度山を読んでます。

今日読んだ部分から。
柳生五郎右衛門が滝川三九郎に放った言葉。
「いま、このときを忘れるな」
「武士の一生は束の間のことじゃ」
「その束の間を、いかに生くるかじゃ」
このあと二人は打ち合い、三九郎が脚に太刀を受けて決着はついたものの、その後の戦闘で柳生は討死する。

突然話が飛ぶけど、たまにぼんやりとテレビの野性動物の番組を観ていると、地球上のあらゆる生物(植物も)は子孫を残すため、種を絶やさないために生命活動を行ってるんだなって思う。子供を持たなかった私はそのサイクルから外れてなにも残さず死んでいくのだなあなんて思ったりもしますが、そもそも生物はよりよい個体を残すためになるべく優れた遺伝子を残すようになっていて、さらに食物連鎖が維持されるためにはある種だけが増えすぎないように適度に淘汰される必要もあるから、これで合ってるんだよな、と納得したり。

ところで、先日、俳優の平幹二朗さんが亡くなって、私は舞台で見たことはないのだけど、素晴らしい俳優さんだったと語られるのを何度も耳にした。きっとそうなのだろうなと思う。そういえば息子さんも真田丸でいい演技してたな。でもどんなにいい役者でも死んだら二度と新しいものはやれない。どんなにいい子孫を残しても、その個体ができることは命がある間だけなのですよ。

そういえば真田丸で昌幸が死ぬときに信繁に言ってた。
「軍勢を一つの塊と思うな。一人一人が生きておる。一人一人が思いを持っておる。」

なんの話かわからなくなってきたけど、柳生五郎右衛門のセリフが何で心に響いたかここでわかった。
雑魚には雑魚の思いがあるのですよ。現代を生きる雑魚の私も束の間を生きているのだなあ。何を残すかじゃなくていかに生きるかってことなのかな?困った~。

ん?待てよ。雑魚に失礼だわね。10キロの卵から出てきてがっかりされるカイロス。それが私か?汗

いやいや、ちょっと待て。別に自分を当てはめなくてもいい話なのにね。カイロスにも悪いわ。

娯楽小説を読みながら哲学?してしまう読書の秋、満喫中、なのかな?
[PR]
by fumiko212 | 2016-10-27 23:59 | つぶやき | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://fumiko212.exblog.jp/tb/26311228
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 買っておいてよかった16㎝ 六花文庫と91年のニューヨーク本 >>