ベルリン・フィルの姿

休憩を挟んでブルックナー9番。
曲については何も書けないので、目で見て耳で聞いた私の印象に残っていることを書きます。

この曲で一番好きなフレーズは第2楽章で何度か繰り返される短い休符に続いて始まるオーケストラ全体が同じ旋律、リズムを力強く刻む部分。ここがかっこよくてすごい好き。ここを聴くのが一番楽しみだった。
予習で聴いていたウィーンフィルのCDでは微妙にトロンボーンらしき金管楽器がリズムに乗りきれてないのが気になってた。ベルリンフィルはどんなふうなのかしら。。。

曲が始まると冒頭の大迫力のあのメロディーを超えたところで、すでに第1ヴァイオリンの弓の毛が切れてひらひら舞っているのが目に入った(それも2人も)。
先々週のチェロレッスンで、近頃話題のチェロ2人組のことを先生が話されたのだけど、弓の毛が切れるのはかっこいいことでもすごいことでもないので真似しないでね、切れるってことは余計な力を入れすぎて音は乱れているということだから、というようなアドバイスがありました。あれにあこがれておかしな方向に行っちゃわないでね、ということでおっしゃったのだと思います。チェロ2人組の方たちはパフォーマンスとしてわざとあのような演奏をしていると思うので、弓の毛が切れるなんてダメな演奏だ、という意味でもないとは思うのですが、それでもググッと力が入った時に起こる現象だということ。
第1楽章のあの重ーい歪んだ音を出すというのは音が割れてしまうギリギリのところまで力を入れてるんだなあ。ベルリンフィルであっても。

そんなことが頭をよぎりつつ、曲は2楽章へ。いよいよだ。私のワクワクは最高潮。
休符の後の入りは、聴き手側もぐっと力が入る緊張があるのだけれど、楽章の中で4回繰り返されるこの部分の2度目に私の耳でもわかる乱れがありました。多分、管楽器と弦楽器だったと思うのですが、2つの音が休符の後バラバラッと早く入ってしまったんです。あ、いかん!という感じで私が焦ってしまった。ベルリンフィルでもこんなことあるの?むしろこの程度はOKなの?と思ったのですが、やはりよくなかった様子。オーケストラがここでビクッとなったように感じました。ここから先は二度とあってはならない、という気迫の表情が第2ヴァイオリンの最後列まで伝搬していて、オーケストラの気持ちがギュッと凝縮されたように感じました。(全部私の妄想かもしれませんが。)その時のラトルは平常心のままのように見えた。3度目の同じフレーズの入り、休符の後、オーケストラが一斉に息をスッと吸い込む音がそれまでよりもずっと大きく聞こえ、その瞬間にたくさんのことが私の胸に迫ってきた。

ベルリンフィルといえば、指揮者をもビビらすプロ集団。最近では佐渡さんが定期公演を指揮したときのリハーサルを取材したドキュメントが公開されましたが、佐渡さんサイドから見たベルリンフィルは泣く子も黙るという感じで、とにかく指揮者を値踏みしてダメと判断されたら次はない、というような切羽詰まった雰囲気。安永さんの対談でも、指揮者がダメだと楽団員たちがリハーサルの休憩時間などにコンマスに「何とかしてくれ」と言いに来るそうで、そこである程度調整してもダメとなると団員たちはコンマスを見て演奏を始めるらしい。すると演奏がよくなっていくという。これ、気の弱い指揮者が読んだらもう指揮台になんて上がれませんよ。

そんな話を見聞きして、ベルリンフィルはどんな曲でもスイスイとできてしまう人たちなんだろうなと思っていると、一方で団員たちへのインタビューで構成されていたドキュメント映画では、彼らは一様に毎回すごいプレッシャーで押しつぶされそうだという。自分はいつこの集団から脱落してしまうんだろうか?どんなに練習しても安心できない。といつも恐怖におびえているようなことを言っている。

このギャップはなんなんだ?

3年前の来日公演を聴いた人たちが書き込みしてるのをmixiか何かで読んだときに、あまり良くなかったと書いている人が少なくない人数いて、中にはそもそも日本なんかでベルリンフィルは本気出さない、と書いていた人もいた。まあクラシックマニアの人たちはすんごくいい耳を持ってCDとかも聴きこんでいるのだろうから、そういうことなのかしらねえと感じたりもしたけど、今回自分の耳と目で確かめて確信したことは、たとえベルリンフィルであっても生半可な集中力ではオーケストラの演奏というのは成り立たないということ。もしそのような気持ちであの場にいたら、聴衆には気づかれなかったとしても隣に座る仲間に気づかれてしまう。そんなことしたらこれから先仲間の信頼や尊敬を失ってしまうことになる。その恐怖をだれよりも知っているのが彼ら自身なんだ。

鬼気迫る集中力を目の当たりにして、天才がさらに生半可でない努力をし、それでも全身全霊をかけて集中しなければ振り落とされてしまうという恐れを持って存在している。それがベルリンフィルの本当のすごさなんだと。私は本気で感動していました。

その短い休符の後に続く旋律は完璧に同期し、オーケストラが一つの楽器になってリズムを刻んでいた。
(去年の第九の練習で先生が何度も「指揮に合わせようとしたらだめだ。」とおっしゃっていたのは、つまりはこういうことだったんだというのも本気で理解しました。)

そこからは、音楽の中に客席も飲み込まれて一つのうねりになっていき、第3楽章は頭でぐるぐる何かを考える瞬間もなく音楽の中にひたすらに身をゆだねていた記憶しかありません。

すべての演奏が終わって会場を後にする私の頭の中には、次はベルリンのフィルハーモニーで彼らの演奏を聴かなければ、という決意がありました。

彼らは私にとってのスーパースターであり、音楽の神様に愛された人であり、そして生身の人間だった。それを自分の目と耳で確かめることができて本当によかった。
[PR]
by fumiko212 | 2011-11-27 18:17 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://fumiko212.exblog.jp/tb/17104438
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 終演後のお楽しみ♪ 至高の時間が訪れた >>