至高の時間が訪れた

ホールに入ると、さっきまでやたら目についたブランドバッグの人たちは気にならなくなっていました。そっか、ここはB席だものな。
実はチケットを購入した時は相当ぶーたれてたこのB席、その後この席じゃいやだ、という思いは払しょくされていました。というのは、藤原真理さんのエッセイを読んだ際にサントリーホールで彼女が好きな席としてあげていた場所がその私のB席だったから。その席がどういう席かということが書いてあり、その良さを私の耳で感じられるかという不安はあるものの、それこそ最高のプラシーボ効果が得られそう。さらにはコンサートの途中に思い出したのですが、かつて父がN響定期のBプロで持っていた席が確かこの辺りだったと言っていたことを思い出しました。いつも、すごく面白い席なんだと自慢していて、そうか、父も真理さんのエッセイを読んでこの席を買ったのかもなあと思ったりしました。

この日はコンサートの前にユニセフのセレモニーがありました。ドイツの子供たちが東北の被災地の子供たちに宛ててメッセージ、絵画、俳句などを贈ってくれたそうで、それらをまとめた本の贈呈とユニセフからベルリン・フィルへの感謝状の贈呈式が行われました。この時点でステージ上には楽団員が登場していたのですが、ふとテレビ画面の中で何となく顔を覚えていた団員の方々が目の前に、、、ということに気づいて、まるでロックスターか映画スターを目の前にしたファンのようにキャー!とテンションが上がっている自分に気づきました。ホント、私にとっては彼らはスターなのだなあ。いやー、興奮してきた。

セレモニーが終わり、一度ステージを降りたラトルが登場。何のためらいもなく1曲目のラヴェルが始まりました。そしてすぐに、この席が真理さんの言うとおりの席だと実感。1つ1つのパートの音がものすごくクリアに聞こえてきます。ああ、真理さんありがとう。読んでいなければそんな風に聞こえなかったと思う。オーボエとイングリッシュホルンの音がとてつもなく美しく響いてる。木管の音が素敵だ。、私のいる場所だとあっちこっちが気になって曲を塊として聴けていない気もして、ふとラトルを見ると、おお、すごい、オーケストラが1つの楽器になっているってこういうことなのか、と思えたり。いやもう忙しくワタワタしているうちにあっという間に1曲目が終わってしまって、何を舞い上がっておるのだという状態。でも、この後の席の移動やらを待つ時間で少し落ち着けました。

さて、いよいよ問題のホルン協奏曲が始まります。解説によると、ソリスト以外のホルン奏者2人とトロンボーン1、トランペット1が客席に散って演奏するとのこと。2階のLC、RCのバルコニーのところにホルンが1人ずつ、LA、RAのドアの前にトランペットとトロンボーン奏者が立っています。「開花の時」というタイトルがついたこの曲は蓮の花の開花を表現しているのだそうで、オーケストラが水面を、ソリストが花を表しているのだそうです。ピアニッシシシモ(?)の弦のハーモニクス(多分、、、)のロングトーンで曲が始まりました。その瞬間に会場の空気がガラリと変わりお客さんの集中力が急速に高まっていくのがわかりました。オーケストラの集中力がすごい。それが客席にもビシビシ伝わってくるからこちらも背筋が伸び、全身でその音を受け止めようとする。
以前読んだN響オーボエ奏者茂木さんのエッセイに、演奏会の成功はオーケストラだけがどんなに頑張っても得られるものではなく、その演奏を客席が受け止め返すことで演奏がよりよくなっていく、とありました。そういう空気が生まれつつあるのが肌で感じられました。
私がこれまでホルンという楽器に持っていた印象も大きく変わりました。うねるような音を出すソリストと、2階席バルコニーから聞こえてくる派手なギラついた音は、それぞれが同じ楽器とは思えない違った色をしていました。ちょっとサックスに近いような音色に感じた部分もあったり。その音の応酬を聴いていると、クラシックというよりはむしろジャズっぽく聞こえるような場面もありました。いいぞいいぞという感じ。
このままどこまでも続いていきそうな激しくうねった音楽が再び静かな弦のこすれる音とともに収束していく最後の部分は、夢から覚めるていくような覚醒の時間を経て、再び現実の世界に戻っていきます。しばらくあの世界にとどまっていたいという思いを残しながら。
普段はあまりないのですが、音楽を聴いていて、目の前の空間に何かが見えてくるような体験をすることがあります。この曲を聴いているときも、一つの空間作品を体験したような、確かに何かを見ていたような、不思議な感覚が残りました。
ラトルがゆっくりと手をおろし、オーケストラが楽器をおろすまで客席は微動だにせず見守っていました。
本当に素晴らしい体験だった。
日本の客も本気出すとすごいんだ、と誇らしかった。それはやはり日本の作曲家の作品だったということも大きいように思いました。なんというか、皆さんならこの世界わかるよね、うんわかるわかる、かつて見た世界のように思う、というやり取りがあったような。多分私の思い込みだけど。
そして、偉大なマエストロであるラトルも、世界最高峰の演奏家集団であるベルリン・フィルも、この曲の世界を再現することにひたすらに忠実であり真摯であったように思いました。それは作曲家だけが描いたヴィジョンなのではなく、それが全員に共有されて意志を持って再現されていたような。
演奏が終わって、客席後方から作曲家の細川さんが舞台に招かれ、オーケストラを含めた会場中の称賛の拍手が沸き起こりました。その時私は心からこの偉大な芸術家に「ありがとう」という気持ちで拍手を送っていました。
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(写真は公式ブログから拝借しました。すいませんっ。)
さて、休憩を挟んで、最後の曲、ブルックナーの9番です。 つづく
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by fumiko212 | 2011-11-26 01:19 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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