雨ニモマケズと十善戒

俳優の渡辺謙さんが「雨ニモマケズ」の朗読をした動画が話題になっていたことを報じる新聞記事で「雨ニモマケズ」の全文を改めて読みました。つい最近の4月に入ってからのことだったと思います。
震災以降、テレビのニュースや新聞、ツイッター、ネット上、いろいろな場所でいろいろな人の意見やつぶやきなどに、共感したり、なるほどと思ったり、元気をもらうこともあれば、反発したり、批判的な気持ちになることも多くなってきて、自分のそういう心の揺れに疲れて、しばらく積極的に見ないようにしよう、と思っていた頃でした。

この詩を子供の頃に暗唱させられた覚えはないのですが、なんとなく覚えていました。それでも全文の中にはこんなことも書いてあったんだ、というところあって、今回、自分に響いたのはそんな部分の言葉でした。

例えば、

決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル


とか、

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ


それから最後の部分、

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ


簡素な住まいや粗食といった「清貧」をイメージする部分や、「東に~」で始まる「人の役に立つこと」という子供心に理解しやすい部分が強烈に印象に残っていたのだと思います。
子供には「褒められない人」になりたいなんてよくわからないし、「自分を感情に入れずに」というのもよくわからなかったと思う。子供の頃はまだ「むかつく」なんて言葉は今ほど使っていなかったように思うし、「いつでも静かに笑っている」難しさなんかもやっぱり子供にはわからない。

この3つはどれもとても難しい。けれど私も今「そういうものに私はなりたい」と思います。


先日、美しい弥勒菩薩の仏様を拝観しました。体は華奢なのにすべてを見ていてくれているような微笑をたたえたお顔を観ていると、不思議と心がほどけていくように穏やかになっていきました。仏様の横に手書きの札が立ててあり、そこに「弥勒菩薩様はすべての人を守ってくださる慈悲深い仏様」だとありました。けれど「そのお慈悲をいただくには「十善戒」を守らなければならない」、とありました。

確かお堂の外にその「十善戒」が掲げてあったことを思い出して、帰りに読んでみました。
「不殺生」とか「不偸盗(盗まない)」とか「不妄語(嘘をつかない)」などの言葉が並ぶ中で、これは難しいなと思ったのが「不瞋恚」という言葉。言葉の意味として「いかり憎しむことをしません。」と書いてありました。
「憎む」というのは日常ではあまりないようにも思うのですが、仕事をしていてイラっとすることは日常的にあるし、特に最近は何かを読んで批判を通り越して感情的に怒りを覚えることも多かったから。

「瞋」という共通する難しい漢字が出てきたこともあり、「雨ニモマケズ」と「十善戒」は同じようなことを言っているのだな、とスッと入ってきました。
弥勒菩薩様の解説文にあったように、十善戒を守れば、本当に仏様に守られて無事に過ごしていけるように思います。つまりそれは、仏様が守ってくれるというよりは、自分を守る術としての十善戒なんですね。難しいことだから、守ればその見返りがあるかのように教えてくれているけれど。

怒りの感情から少しでも遠ざかれるように、情報をより分けることも必要なのだと思います。自分に都合の良い情報だけを見るのかというお叱りもあるかもしれませんが、自分の心を守るためには必要なことなのです。
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by fumiko212 | 2011-04-12 23:04 | つぶやき | Trackback | Comments(0)
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